年度は統一すべきか
今日から日本は新年度に入ります。もう誰も疑問を抱きませんが、あれほど普段は欧米との比較を唱える人々が、この件についてはほとんど言及しないのは不思議です。実際、海外留学をした人にとって、半年間、損する制度です。大学によっては秋入学という制度をしている所もありますが、企業で秋就職制度をしている所はほぼないでしょう。企業がそれに従っているのは、新卒が4月から入社になるため、やむをえないためです。官庁で秋入庁という所はないと思います。学校と就職がセットになった制度ですから、変更したくてもできない、というのが実情です。
この年度という制度の根拠は会計年度と事業年度という思想にあり、学校の年度は昭和22年制定の学校教育法施行規則の第59条で「小学校の学年は4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる」と記されていることによります。法律ですから、理論上は変更可能です。こうした制度の制定の多くは明治時代に始まったのですが、西洋かぶれの当時の役人なら当然9月始まりにしたはずです。実際、明治時代の1872年に学制が公布され、学校制度が導入された際には、イギリスやドイツを真似て9月入学でした。会計年度が4月始まりになったことを受けて、学校年度も4月になったのです。つまり根本は会計年度にある、ということです。では、会計年度はどのように決まったかというと諸説あるようです。江戸時代までは、日本は米本位制でしたから、収穫のある秋に納税されました。いわば「予算」がそこで決まるので、事業年度も秋から始まるのが合理的です。ただ秋に収穫した米を現金に換えて納税し国が確認する、というプロセスを踏むとどうしても時間がかかるため、4月になったという説があります。これは納税が現金になってからでないと説得力がありません。国の財政赤字を解消するために4月になった、という説もあります。富国強兵を目指していた明治初期の日本は、軍事費に多くの予算を投入し、財政が赤字になってしまったのです。当時の大蔵省(現財務省)の長官にあたる大蔵卿が、赤字を削減するために次年度の予算の一部を充てるという前倒し施策を実施しました。しかし、その年の赤字は解消できても、次年度の予算が少なくなり、再び赤字になります。自転車操業ですね。そこで当時7月始まりで翌年6月末までだった年度を、翌年3月末までと短くしたのです。それに伴い、次年度を4月始まりとしたことが由来だという説です。明治政府は赤字財政だらけで、給料削減のために暦まで変えたくらいですから、ありうる話です。
会計年度と事業年度は世界ではまちまちで、日本でも企業ごとに決めることができます。ただ政府税制と事業年度が3月年度末になっているので、それに合わせることが多いだけです。しかし会社の設立は必ずしも4月1日とはかぎりません。設立から事業が始まるので、事業年度と会計年度は設立の日に合わせたいのが実情です。会計年度や事業年度は「統一すべき」ものではなく、元来自由度があるものです。暦と年度がずれるのも不合理です。再考するよい機会が今日です。
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