排他
包括の対語が排他exclusiveです。排他とか閉鎖というと否定的なニュアンスがありますが、この語には「高級な、上流の、特定の人とだけ交際する、人付き合いの悪い、お高くとまった、ほかで入手できない、高級品を扱う」といった意味もあり、副詞にしてexclusivelyというと「もっぱら、独占的に」といった意味になります。他を排除する、ということは、優位的な地位を確保することになるわけです。英語では独自であること、他人に追従していないこと、などから良いニュアンスがあります。
日本は文化として、同調的であり、人と異なることをあまり良しとしません。周囲から目立たず、空気を読んで、和を乱さないこと、が重要視されます。しかし欧米はその逆で、周囲とは違っていて、目立つこと、独創的であること、が重要視されます。日本型の周囲と同じ考えというのは、考えがない、頭が悪い、と受け止められることが多いのです。そこで他人よりも一歩でも先に出るには競争が大切、ということになります。競争によって、お互いに高見に至る、という競争原理が働きます。この原理は個人間でも企業間でも行われますから、一歩先んじて市場を独占する地位を占めることは善なのです。ただし、独占的地位を利用して、他が出てくるのを邪魔することは不道徳と考えられます。互いに競争することが正しいわけです。日本も戦後のアメリカによる占領政策が浸透し、個人でも企業でも、周囲との調和より、独占的な地位を占めることが善と考える人が増えてきました。とくにグローバリズムという世界市場主義の人に多くみられます。
競争社会には負の面もあり、敗者となった人が不利益を被る可能性が高いことです。スポーツならば試合が終われば、互いに健闘を称えるスポーツマンシップがあるのですが、個人競争、企業競争にはそうした人間性がほとんど見られません。敗者を蔑む傾向さえあります。
イクスクルーシブの対語であるインクルーシブが日本人には受け入れやすいのは、こうした文化差の影響があると考えられます。インクルーシブが日本で使われる状況は多様性ダイバーシティとセットになっているのも特徴的です。多様性を認知するということは、それぞれの集団間の差異を明確に認識する、ということです。差異が認識されていなければ、排他も包括もありえません。しかしここが微妙なところです。たとえば相手が障害を持っていることに気が付かず、同じように対処したことが、差別である、ととられることがあります。差別をなくすにはまず「気づき」が大切とされています。障害に気が付いて、それに対応する措置をとることで、差別は軽減されます。それがインクルーシブか、というと、論理が飛躍していて、理解しずらいのです。日本でインクルーシブが主張されるようになった背景には、欧米でまずインクルージョンという思想が普及したことにあります。inclusionとは何かを取り入れることで、社会的な文脈では、多様な人々や意見を受け入れ、参加させることを指す、ということが理解されていません。
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