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南北朝合一新着!!
日本の歴史において、「南北朝時代」(1336年~1392年)は、同じ皇室から分かれた二つの朝廷が対立し続けた異例の時代です。この分裂は約60年にも及び、武家や公家、民衆の生活に大きな影響を与えました。そして1392年、ついに両朝が統一され、歴史上「南北朝合一」と呼ばれる大きな転機が訪れます。南北朝合一は、日本の皇統の正統性や武家政権の安定にとって極めて重要な出来事でした。 南北朝の分裂の発端は、鎌・・・
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タージ・マハル新着!!
インド北部、ウッタル・プラデーシュ州アーグラの地にそびえる白亜の霊廟タージ・マハルは、「愛の象徴」として世界中から観光客を惹きつけてやまない建築物です。しかし、この壮麗な建築は単なるロマンの産物ではなく、帝国の栄華と苦悩、そして一人の皇帝の哀惜の物語を背景にしています。タージ・マハルを語ることは、同時にムガル帝国という一大イスラーム王朝の歴史をたどることでもあるのです。ムガル帝国は、16世紀初頭に・・・
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弘安の役新着!!
13世紀末、日本は再び大きな外敵にさらされることになりました。1274年の文永の役に続き、1281年には再びモンゴル帝国(元)による大規模な侵攻が行われました。これがいわゆる「弘安の役(こうあんのえき)」です。この戦いは日本にとって二度目の「元寇(げんこう)」であり、前回よりもはるかに大きな規模で行われました。国難に対する武士たちの奮闘と、自然の力による「神風(かみかぜ)」の伝説が結びついたこの出・・・
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カリフォルニア共和国新着!!
「カリフォルニア共和国(California Republic)」と聞くと、アメリカ合衆国の中のひとつの州、つまりカリフォルニア州の歴史的な別名かと感じる方もいるかもしれません。しかし、この名前は実際には、19世紀半ばにごく短期間だけ存在した“独立国”の名称なのです。その成立からわずか25日で終焉を迎えたカリフォルニア共和国の歴史は、アメリカ合衆国西部拡張のダイナミズムと、メキシコとの関係の中で理・・・
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戊辰戦争の終結新着!!
明治2年(1869)5月18日(旧暦)、箱館・五稜郭に立てこもっていた旧幕府軍が新政府軍に降伏し、戊辰戦争は実質的に終結しました。この日、最後の戦いの地となった五稜郭が開城されたことで、旧来の幕藩体制は完全に崩壊し、日本は新たな時代──明治という近代国家への道を本格的に歩み始めたのです。戊辰戦争とは、慶応4年(1868)に鳥羽・伏見の戦いを発端として始まった明治新政府と旧幕府勢力との一連の内戦です・・・
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ロシア独立記念日(ロシアの日)新着!!
1990年6月12日、旧ソビエト連邦(ソ連)に属していたロシア共和国は、「国家主権宣言」を採択しました。この出来事は、当時の国際社会にとっては一地方の自治拡大のようにも見えましたが、実際には後のソ連解体、そして現代ロシア連邦の誕生へとつながる大きな転換点となったのです。この年、ソ連は多くの問題を抱えていました。経済の停滞や物資不足、軍拡競争の疲弊、さらにペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公・・・
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高師直(こうのもろなお)新着!!
高師直は実在の人物ですが、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵で、吉良上野介の役名として知られています。高師直は南北朝時代という激動の時代において、権力の中枢で政治と軍事の両面を担った人物のひとりです。足利尊氏の側近として台頭し、足利政権の確立に大きく貢献した存在ですが、その強権的な手腕と急速な権勢拡大は、多くの敵を生み、やがて壮絶な最期を迎えます。高師直の生涯は、南北朝動乱の中に浮かぶ一つの象徴であり、室町幕・・・
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ウィーン議定書新着!!
19世紀初頭、ヨーロッパは長年にわたる混乱と戦争に揺れていました。その混乱の中心には、ナポレオン・ボナパルトの登場と彼のもたらした革命的変革があります。フランス革命(1789)に始まり、ナポレオン戦争へと続いた激動の時代は、既存の王侯貴族の秩序を根底から揺るがしました。こうした状況の中で、ナポレオン失脚後のヨーロッパに安定を取り戻すために開かれたのが、ウィーン会議(1814〜1815)であり、その・・・
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大日本史新着!!
大日本史は、江戸時代の水戸藩が中心となって編纂した日本の正史です。編纂開始から完成まで、実に250年以上を要したこの大事業は、単なる歴史書にとどまらず、近世日本の思想や政治意識、そして国家観を体現した存在として、今もなお高く評価されています。大日本史の編纂が始まったのは、17世紀後半のことです。水戸藩二代藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに)が、歴史を通じて人心を正し、徳川家の支配正当性を高めること・・・
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下関条約と台湾占領新着!!
明治時代の日本にとって、日清戦争(1894〜1895)はその後の国際的地位を大きく変える契機となりました。この戦争の終結をもたらしたのが、下関条約(馬関条約)であり、その中で日本は清から台湾を獲得します。これに伴い、台湾への軍事占領が実行され、日本の植民地政策の第一歩が刻まれました。下関条約と台湾占領は、アジアにおける帝国主義的進出の象徴であり、日本近代史の転換点でもあります。1895年4月17日・・・
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寛文印知令(かんぶんいんちれい)新着!!
江戸時代の前期、幕府が全国的な支配体制を固めるなかで、土地に対する権利の確定と整理は極めて重要な課題でした。そのような背景のもと、寛文四年(1664)に発布されたのが寛文印知令です。この法令は、全国の諸大名に対して改めて知行地の確定と文書による確認を命じるもので、幕藩体制下における封建的土地支配の安定を意図した政策として評価されています。「印知」とは、主君が家臣に対して知行地を保証するために与える・・・
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三国干渉――列強の圧力と日本の苦悩新着!!
三国干渉――列強の圧力と日本の苦悩 明治28年(1895)5月10日(旧暦)、日清戦争に勝利した日本は、清国との間に下関条約を締結しました。その条約により、清は日本に遼東半島・台湾・澎湖諸島を割譲し、賠償金も支払うことが定められました。列強の一角に足を踏み入れたかに見えた日本でした。しかしその直後に起こった「三国干渉」は、日本にとって大きな衝撃であり、近代日本外交史の転機となった事件です。三国干渉・・・
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ロンドン覚書新着!!
文久2年(1862)5月9日(旧暦)ロンドン覚書という条約のようなものが締結されました。幕末の日本は、欧米列強との外交関係を築きながらも、国内の政治的混乱や攘夷運動の高まりに直面していました。特に、1858年に締結された安政五カ国条約に基づく開港・開市の問題は、幕府にとって大きな課題でした。こうした状況の中で、幕府は開港・開市の延期を求め、1862年にイギリスとの間で「ロンドン覚書」を締結しました・・・
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新田義貞と修身新着!!
正慶2年/元弘3年(1333) 新田義貞が上野国で北条氏討伐の旗揚げをしたとされています。後醍醐天皇による建武の新政樹立の立役者の一人となった人物ですが、楠木正成に比べると現在の知名度は低いかもしれません。しかし、昔の「修身」という科目では、楠木正成の「桜井の別れ」のエピソードと共に、新田義貞が鎌倉の稲村ケ崎で太刀を海に奉じて、龍神が潮を引かせた、という話が載っていました。この話は印象的なせいか、・・・
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六波羅探題新着!!
正慶 2年/ 元弘 3年(1333) 倒幕に転じた足利尊氏 の攻撃により京都・ 六波羅探題 が陥落しました。六波羅探題(ろくはらたんだい)は、鎌倉幕府の職名の一つで、承久3年(1221)の承久の乱ののち、幕府がそれまでの京都守護を改組し京都六波羅の北方と南方に設置した出先機関の名称です。探題と呼ばれた文献上の初見が鎌倉末期であり、それまでは単に六波羅と呼ばれていたようです。探題というのは、本来は仏・・・
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薩長同盟新着!!
慶応元年(1865)閏5月、 坂本龍馬が長州藩の桂小五郎と会談し薩長連合が始動したとされています。薩長同盟は、江戸時代後期に、坂本龍馬の仲介で近衛家別邸御花畑屋敷(小松帯刀邸)(京都市上京区)で締結されました、薩摩藩と長州藩の政治的、軍事的同盟。薩長盟約、薩長連合ともいいます。その前の薩摩藩は公武合体の立場から幕府の開国路線を支持しつつ幕政改革を求めたのに対し、長州藩は急進的な破約攘夷論を奉じて・・・
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最上徳内新着!!
天明6年(1786)5月5日(旧暦)江戸幕府の命を受けた最上徳内(もがみとくない)が択捉島(えとろふとう)に上陸しました。最上徳内は間宮林蔵に比べると、あまり有名ではありませんが、間宮より少し前の江戸中期から後期にかけて北方を探検した人です。「実家は貧しい農家だったが、長男であるにもかかわらず家業を弟たちに任せ学問を志し、奉公の身の上になり奉公先で学問を積んだ後、師の代理として下人扱いで幕府の蝦夷・・・
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風土記の始まり新着!!
風土記というのは時々、番組のタイトルになることがありますが、その起源はかなり古く、奈良時代初期の元明天皇の詔により各令制国の国庁が編纂したものが最初です、風土記とは、一般には地方の歴史や文物を記した地誌のことを指すますが、狭義には、日本の奈良時代に地方の文化風土や地勢等を国ごとに記録編纂して、天皇に献上させた報告書を意味します。つまり定義は意外に曖昧なので、奈良時代の官製の風土記を普通の風土記と区・・・
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日本海海戦新着!!
日本海海戦は、日露戦争中の1905年(明治38年)5月27日から5月28日にかけて、大日本帝国海軍の連合艦隊とロシア帝国海軍が極東へ送った第2・第3太平洋艦隊によって日本海で行われた海戦です。主力決戦は対馬東方沖海域で行われたため、日本以外の国々では、この海戦を対馬沖海戦と呼んでいます。第2・第3太平洋艦隊はロシアのバルト海艦隊(バルチック艦隊)から引き抜いて編成されたものであるため、日本ではこの・・・
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飛鳥板蓋宮新着!!
皇極天皇2年(643)4月28日(旧暦)皇極天皇が飛鳥板蓋(いたぶき)宮に都を移しました。板蓋宮は、7世紀半ばに皇極天皇が営んだ皇居で、一般には飛鳥板蓋宮と呼称されています。現在の奈良県明日香村岡にある飛鳥京跡にあったと伝えられています。642年(皇極天皇元年)1月、皇極天皇は夫である舒明天皇の崩御により即位し、同年9月19日、大臣である蘇我蝦夷へ新宮殿を12月までに建設するよう命じました。これに・・・
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