アメリカの入学試験


大学入試

アメリカそしてヨーロッパの国々では、基本的に入学試験という制度がありません。むろん希望すれば誰でも入れるという訳ではなく、たとえば大学入試であれば、高校卒業資格のようなものが必要です。日本のセンター試験に似た制度で、全米統一ではありませんが、州ではほぼ統一された試験ですが、日本のような一発勝負ではなく、平常点などが基盤になっているところがほとんどです。アメリカでも人気のある大学では入学にも競争がありますが、その人気というのは日本のような就職や公務員試験合格率ではなく、フットボールやバスケットボールの有名校が中心です。またお金持ちでないと行けない授業料の高い大学もあります。定員倍率はそうした人気で違いますが、そもそも定員の設定が異なります。日本では入学することがほぼ卒業につながる仕組みですから、1年生と4年生の定員はそれほど違いません。しかし、アメリカでは1年生が極端に多く、次第に減って4年生の定員はかなり少ないのが普通です。それは卒業が有名校ほどむずかしく、授業も学年が上がるにつれ難しくなります。そして大学間の移動が簡単で、取得した単位を持って移動できるので、学生は自分の取りたい講義や難易度によって、大学を移動します。言い換えると入学にそれほど意味はないわけです。ですから、たとえば1年生は人気大学に入学してスポーツ大会などを満喫し、2年生から移動し、最終学年は学位を取ることに専念できる実力に合った大学に移動します。経済的に恵まれない場合は、低学年のうちは地元の大学に通い、最後の年だけ、有名校に行く、というケースもあります。日本の場合、東大卒というのは東大入学とイコールで、大学時代の成績は評価対象になっていません。言い換えると東大卒は優秀な高校生であったことの証明にはなりますが、優秀な大学生であったことは保証されません。どちらが正常な状態かは明白で、日本の大学制度が正常なシステムになっていないのです。日本では何度も入試制度についての改革は何度も行われてきましたが、大学改革については放置状態になってきました。そのため年々レベル低下が進み、世界ラインキングでどんどん地位が下がってきていますが、どうにかしようという政策を唱える政治家は出てきていませんし、政府案もありません。アメリカの大学制度が日本と違うのは、国立大学は例外的で、多くは州立、郡立、市立などの公立が中心で、普通大学の他にコミュニティ・カレッジと呼ばれる、移民対策の語学や職業訓練の短大や大学校が数多くあります。私立大学もそれなりにあるのですが、授業料も高く、お金持ちの子弟が中心です。日本では私立大学に通う学生がお金持ちの子弟とは限らず、むしろ東京大学のような国立大学の学生の親の所得がきわめて高いのも世界的に見ると異常な社会構造です。

アメリカでは大学入試もペーパーテストよりは面接試験により、学業についていけるか、どのような抱負をもっているか、などに着目して行われます。日本でいう「試験の公平性」よりは個人としての適性を考査するという点に重点を置いていることも違います。

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