科学の語源と歴史



科学といえば、日本の今では理系、自然科学の意味に限定されていますが、昔の大学のいわゆる一般教育は自然科学、社会科学、人文科学の3分野があり、それらをまんべんなく学習することが「教養」と考えられていました。どこから変わってしまったのか、考えてみましょう。「科学」という言葉は、英語の science に由来します。 “science” はラテン語の scientiaから来ており、これは「知識」や「知ること」を意味します。さらに遡ると、“scientia” はラテン語の動詞 “scire”(知る)に由来します。つまり理系限定ではなかったのです。古代ギリシャ語の “episteme” も同様に「知識」を意味し、これが後に「エピステモロジー」(知識論)という学問分野の基礎となりました。こちらはあまり知られていません。科学の歴史は、古代文明にまで遡ります。古代エジプトやメソポタミアでは、天文学や数学、医学などの基礎が築かれました。古代ギリシャでは、アリストテレスやプラトンといった哲学者が自然界の探求を行い、これが後の科学的思考の基盤となりました。哲学が科学の基本だったわけです。その伝統が欧米では今も継続されていて、大学では哲学が必須です。中世ヨーロッパでは、イスラム世界からの知識の伝播が科学の発展に大きく寄与しました。アル・フワーリズミーの数学やイブン・シーナーの医学などがその例です。今のイスラム世界からは想像もできません。ルネサンス期には、ガリレオ・ガリレイやレオナルド・ダ・ヴィンチといった人物が科学革命を牽引し、近代科学の礎を築きました。近代に入ると、ニュートンの力学やダーウィンの進化論、アインシュタインの相対性理論など、科学は飛躍的な進展を遂げました。これらの発見は、現代の科学技術の基盤となり、私たちの生活に大きな影響を与えています。科学と宗教の関係は、歴史を通じて複雑で多面的なものでした。中世ヨーロッパでは、教会が知識の中心であり、科学的探求も宗教的な枠組みの中で行われました。しかし、ガリレオ・ガリレイの地動説のように、科学的発見が教会の教義と衝突することもありました。ガリレオは宗教裁判で異端とされ、その時「それでも地球は回っている」と言ったという逸話は有名です。ルネサンス期以降、科学と宗教はしばしば対立する関係にあると見なされるようになりました。特にダーウィンの進化論は、聖書の創造説と対立し、大きな論争を引き起こしました。今もダーウィンの進化論は異端であるとして、キリスト教系の学校では教えない学校もあるくらいです。しかし、現代においては、とくに宗教的な団体でないかぎり、科学と宗教が共存し、互いに補完し合う関係を築いていると考えられています。カトリック教会はビッグバン理論や進化論を受け入れ、これらを神の創造の方法と解釈しています。また、多くの科学者が宗教的信仰を持ちながら科学的探求を行っており、科学と宗教が必ずしも対立するものではないことを示しています。しかし、科学は、原子爆弾のような兵器開発、遺伝子操作や生命そのものを人工的に作り出す、性転換技術など、宗教的判断だけでなく、倫理的な問題も起きてくるようになりました。

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