クリスマス・イヴ


クリスマスディナー

12月24日はクリスマス・イヴであることは誰もが知っているはずですが、今の日本では、この日がクリスマスと思っている人がほとんどではないでしょうか。

“クリスマス”にはチキンを食べて、クリスマスケーキを楽しみにする、というのが、「年中行事」になっている感じがします。この時期にチキンを食べるのは、どうやら日本独自の習慣のようで、アメリカが七面鳥を食べる習慣を真似たものだといわれています。そのアメリカが七面鳥を食べるのは、英国植民地時代に野生でいくらでも手に入った野生の七面鳥wild turkeyを丸焼きにして食べたという伝統に基づいています。当時のアメリカは牧畜をほとんどせず、野生のバッファローや七面鳥、鴨などを捕獲して食べていました。他にもビーバーを毛皮として捕獲したり、いわば「狩猟採集民」であったわけです。その後、アメリカが独立し、西部開拓時代を経て、農業や牧畜をすることで食料の確保ができるようになり、タバコや綿花などの農産業で欧州への輸出で利益を得るようになり、さらに石炭や鉄鋼の採掘による工業化が進んでいくわけですが、その過程で、潤滑油としての鯨油獲得のため、大西洋やがて太平洋の鯨を捕獲していったという歴史があります。いわば乱獲による発展の歴史といえます。そして金や石油といった鉱物資源も掘りつくしていきました。それが米国史の一面です。

日本において、そのアメリカの影響が出てくるのはかなり後です。明治時代はまだ英仏独の影響の方が強く、その前は蘭葡の影響がありましたが、総じて欧州文化の影響下にあったといえます。その時代、クリスマスは欧風文化の象徴であり、海外経験があり、キリスト教に馴染みがあったエリート層だけが楽しむものでしたから、庶民には無縁でした。それにしても、キリスト教においては、イエスの降誕よりは復活であるイースターの方が宗教的に重要なのですが、日本のエリートはそこまでは心酔していなかったとみえ、クリスマスに傾注していったようです。明治時代のクリスマスは外国人居留地である築地周辺の教会や大使館などの行事が、付き合いのあるエリート層に広がり、また当時のミッションスクールで行われた行事に感化されたエリートの子女が自然に受け入れていったようです。いわば文明開化の象徴といえます。当時はまだ欧風文化だったわけです。日本で庶民がクリスマスに接するようになったのは、米軍の占領下でした。それで今も日本のクリスマスが米風なわけです。サンタクロースが広がったのもアメリカ文化ですし、クリスマスツリーやターキーの代わりであるチキンも、シャンペンも米風文化です。ただ、クリスマスケーキは日本独自に進化したものです。アメリカではパイです。パウンドケーキにクリームを塗って苺を載せるストロベリーショートケーキは「ショート」いうように、元は切ったものが普通でした。冬に苺はありませんから、冬の風物詩にしたのは洋菓子屋です。貴重品である苺を載せた高級品だったわけです。それが苺は安くなり、小麦粉、卵、牛乳などの高騰により、クリスマスケーキが作れない、という昨今は皮肉なことです。

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