ロンドン条約とルクセンブルグ

1867年5月11日、ロンドン条約が結ばれました。ロンドン条約、と聞くと「どれ?」と思うのが歴史ファンです。「ロンドン条約」で検索すると、実に多くの条約が出てきます。つまりロンドンというのは中心地であり、集まりやすい場所、ということでもあります。
古くは1358年の百年戦争中にイングランド王国とフランス王国の間で締結された条約です。当時のイングランドはそれほど強国ではなく、エリザベス一世の時代に大国になり、ロンドンも世界的な大都市になりました。大きなロンドン条約は1604年の アルマダの海戦で知られる英西戦争にイングランドが勝ち、スペインとの講和条約です。これ以降、それまでの世界の覇権国であったスペインが没落し、大英帝国が拡大していきました。
この影響はしばらくして、日本の政治にも影響してきます。スペインやポルトガルの宣教師によるキリスト教の布教が禁止されるようになり、幕末になると、英国商人との交易により、武器が大量購入されるようになって、戊辰戦争から明治維新へと繋がっていきます。
今回取り上げたロンドン条約 は1867年プロイセンとフランス帝国の間のルクセンブルクを巡る危機を沈静化するため、ルクセンブルクの永世中立を定めた条約です。英国が直接関与した戦争ではなく、中立的な立場の協議場所の提供としてロンドンが選ばれたということです。この有力な第三国での交渉という方法は現在の紛争でも行われています。このロンドン条約で中立的な独立が認められたルクセンブルグにとっては重要な日です。
ルクセンブルグは小国であり、南はフランス、西と北はベルギー、東はドイツに隣接しています。ベルギー、オランダとあわせてベネルクスとも呼ばれこともあります。この両国に比べ、日本ではあまり知られていない小国です。正式名をルクセンブルク大公国といい、立憲君主制国家で議院内閣制です。大公国というのは君主制国家の一形態で、大公(grand duke, grand princeまたはarchduke)によって治められている国のことです。王国ではないことが特徴的で現存する大公国はルクセンブルク大公国のみです。過去にはオーストリア大公国、リトアニア大公国、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国、キエフ大公国、フィンランド大公国、モスクワ大公国がありました。キエフ大公国は現在のウクライナです。言語はルクセンブルグ語の他に、ドイツ語やフランス語が公用語になっています。面積は2,600㎢で佐賀県や神奈川県と同じくらい、人口は67万人で徳島県と同じくらい、です。人口密度は岡山県よりやや少ない感じです。平均所得は平均的なヨーロッパ人の2.5倍と比較的豊かで、2022年1月のルクセンブルクの購買力水準は、日本の約113%(ドイツ:日本の約94%)だそうです。ルクセンブルクはリヒテンシュタインとモナコの公国を除いて、一人当たりの国内総生産は世界で最も高いとされています。ルクセンブルクはタックス・ヘイヴンの1つとしてよく知られており、GNI(国民総所得)とGDP(国民総生産)の差は大きいのです。日本の場合、GNIは低いので、国は豊かでも、国民は豊かではない、ことがわかります。
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