手話の雑学26


手話で話す女性のイラスト

近年の日本の人口減少に伴い聾者の人口も減少するので、手話講座の「受益者」が減り、手話通訳者も減少することが、「予算の効率化」という行政の宿命にも合致しているともいえます。聾教育も同じ運命にあり、減少化しています。このため「このままだと手話がなくなる」と不安視する人もでてきています。しかし、その論理は「手話は聾者のため」であり、手話通訳になることが手話学習の目的、と限定した行政の論理に従ったからです。以前、言及したように、手話使用人口は、今や聴者が一番多く、聾者は少数です。聴者の手話使用者は、「聾者がいないなら、もうやめた」ということになるでしょうか。むろん、そういう人もいるでしょうが、「手話のおもしろさ」に気づいた人は、今後もさらに学習を続けるでしょう。「言語学習は実用ばかりではない」ということに気が付くのです。言語学習は「できるようになった」ことがうれしいことが多いのです。

1つの例ですが、近年、アニメやマンガで日本語を勉強した外国人が急増していますが、彼らは実用を求めてきたのでしょうか。日本人と交流したい、と思った人もいるのでしょうが、一番多いのは「もっとアニメやマンガを知りたい」と思ったからだと思われます。わざわざ日本にやってきて、歌舞伎や相撲、文楽には目もくれず、寿司や天ぷらよりも、ラーメンと餃子やとんかつに夢中です。観光地も見ずに、アニメの聖地に行き、アキハバラでフィギュアや昔の本、ゲームソフトを買い漁るのが目的です。これは政府がインバウンドと称して、観光地誘致に誘導しようとすることとは一致しません。行政というのは、実態を把握するのが苦手です。それが官僚主義の弱点ともいえます。

英語学習の例でも、今や通訳者や翻訳者になりたい、という目的を持つ人は少数です。英語を学ぶ人の大半は、受験、就職、海外旅行、観光商売、といったところでしょう。つまり「実用」の内容が時代と共に変化しました。手話学習の目的も当然、時代と共に変化していきます。手話には受験はほぼありませんが、就職のための資格の1つと考える人はいます。旅行や観光はありませんが、障害を理解するきっかけになります。障害を理解することは、当初は福祉というか他人への貢献が目的であることが多いのですが、実は障害を理解することで、自分自身の精神が進化する自覚をもてるようになります。簡単にいえば、教養が広く深くなる、ということです。これは文学、芸術を学んでも同じですが、人は心の豊かさを求めますから、その手段の1つが手話学習といえます。問題は学習者を使用者と考えるかどうか、ということです。日本における英語使用者を考えると、海外で生まれ、英語を習得した人を除き、圧倒的対数の人は学校教育や英会話学校、海外留学、独学なので、英語を学習して獲得しました。そして英語を活用してビジネスなどに使用している人のほとんどが、そういう学習者です。つまり学習者を「現在学習中の人」に限定したイメージが間違っています。

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