手話の雑学70

しかし、手の形がいつも異動作(異音)とは限りません。同じ「1本指」と「レ」でも、「レポート」の手の形は「レ」でなくてはならず、「1本指」では別の語になります。こうした「対立するかどうか」という判断をしながら、分布関係を詳細に研究していくのが手話動韻(動作)論ということになります。この分野には膨大な蓄積が必要なので、まだまだ先の事になりそうです。
手話の動作を考える時、重要な判断基準が「意味」です。音素の定義の1つに「意味をもたない」ことが前提です。それでも、音素の中にそれだけで意味をもつと思われることがあります。たとえば日本語の「い」はiという母音で、それだけでは意味をもたないということになっていますが、実際の語を見ると、「異、居、胃、井など」単音の語が多く存在します。つまり、1音素が1形態素を構成し、1形態素が1語を形成しているケースが日本語には多く見られます。この音素の識別法も、あくまでも欧米の言語には一般的に判断基準となるのですが、日本語ではすんなりと応用できないのが実情です。また英語などでも、[P]は両唇から息を吹き出す子音なので、pushのような押し出す意味をもつ語に使われるという指摘があります。これは音象徴sound symbolismというのですが、極めて例外的とされています。
音象徴という話題は、言語学の中でもちょっとした秘密通路のような存在です。ふだん言語は「記号と意味に必然的な結びつきはない」という原則、いわゆる恣意性で説明されます。ただ、その大原則にひっそり逆らうように、音そのものが何かのイメージを喚起してしまう現象が各言語に散らばっている。これを丁寧に扱う分野が音象徴です。音象徴は大きく三つのタイプに分けられます。ひとつ目は擬音語・擬態語のように、音が動きや状態に寄り添うタイプ。日本語の「ざあざあ」「きらきら」「とことこ」が典型です。二つ目は、音素そのものにある種のイメージがまとわりつくタイプ。たとえば日本語だと p や k のような破裂音は「小さくて鋭い」「瞬間的」イメージを帯びがちです。ピッ・キッ・コツンなどがその小気味よさを背負っています。三つ目は語彙全体に漂う、「特定の音を含む単語には特定の意味領域が多い」というゆるやかな傾向です。英語の “gl-” で始まる語に「光・輝き」が多い(glitter, gleam, glow)という有名な例がそれです。 音象徴は「科学か直観か」という面白い綱引きをしています。人類は自然の音から意味を拾い上げつつ、同時に文化的な慣習によってそれを固定してきました。だから、音象徴は普遍的要素と文化固有要素が入り混じります。破裂音の鋭さはわりと普遍的ですが、日本語の「ぽちゃり」が連想させる柔らかさは文化的な感性の産物です。音象徴を考えるとき、手話には「音」はないけれど、図象性(アイコニシティ)があり、視覚的・運動的な象徴が意味を担います。つまり、象徴性は感覚モダリティを超えて存在し、音があれば音が、身体があれば身体が、世界の特徴をなんとか言語内に持ち込もうとします。音象徴はその努力の痕跡”と言ってもよいかもしれません。
| 月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 2 | |||||
| 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
| 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
| 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
| 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |

