手話研究の星3 ルー・ファント(伝説の手話芸人)

カールの家では、世界の(といっても欧米限定ですが)祝祭日に、それに関する料理をしてパーティを開くということをしていました。パーティ好きの典型的アメリカ人ですが、そこにテーマがあるわけです。イースター、ハロウイン、クリスマスといった典型的なアメリカ文化はもちろん、北欧の文化、ユダヤの文化など、いろいろな文化と料理を同時に教わることができました。スージー夫人は料理名人で、レシピ本を見て、材料も仕入れ、料理をします。もちろん日本文化にも関心があり、普通のアメリカ人に好評な天ぷらの他、焼き鳥、冷やし中華などを振る舞いました。スキヤキやコーベビーフも有名ですが、あれはレストラン料理であり、家庭料理を食べたいのがパーティです。パーティごとにその文化に関心のある人を呼んでいましたが、ゲストはほとんどが手話関係者でした。
そうしたパーティで、いろいろな人に出会うことができました。その一人がルー・ファントです。彼は当時、ローカルテレビの司会者もしておりCMや脇役でドラマにも出る俳優でしたが、コーダであり手話の芸も披露していました。彼は手話を1つの言語として普及したいという悲願があり、Englishのように言語名はすべて大文字から始まる1語であることから、American Sign Languageを縮めたAmeslanという造語を作り、そのための教科書も作っていました。今はASLという頭字語が一般的ですが、彼は固有言語である手話を頭字語で呼ぶことに違和感がある、とずっと主張していました。彼を通じて、聾芸人も紹介してもらいました。その中にはワシントンで会った人々もいます。そのご縁もあって、日本をぜひ訪問したいという彼の希望を叶えるべく、私の帰国後数年して、日本に招待し、熊本、大阪、名古屋、東京で舞台公演を設定し、彼の手話芸を公開しました。彼のビデオは既に紹介済であったので、かなりの評判になっていて、どこの会場でも満員盛況で、手話劇とは異なる手話の美しさを広める機会になりました。手話劇はあくまでもすでにある劇の翻訳劇ですが、ルーの芸はジェスチャーを多く含むため、アメリカ手話がわからなくても、聾者も聴者もわかるものでした。彼独自の芸ですから、なかなか他者には真似ができない芸術で、パントマイムとも違っていて、独特の世界を創造した芸術といえます。彼はフランス系のアメリカ人で、食通でもあり、名古屋公演の時には、イノシシ鍋と鵜飼の鮎をご馳走したのですが、非常に喜んでいました。普通の観光では得られない体験だったと感謝され、長く友情が続きました。その後、日本で世界ろうあ者大会が開かれた折、彼はアメリカ手話通訳者として参加していました。大勢の観衆がいる会場で、私も応援要員として会場整理などを手伝っていたのですが、ルーが私を見つけるや否や駆け寄ってきて、大観衆の前で突然ハグしてきたため、周囲はビックリしました。彼は日本公演やビデオで有名ですが、私はそうでもないので、「あいつ何者?」という驚きだったようです。ルーはその後、シアトルに移住したため、会う機会もないまま、亡くなってしまいました。
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