日本史と世界史で読み解く 北米建国物語 第9回(6) ワシントンと松平定信

十三夜の月のイラスト

― 初代大統領と寛政の改革者、二つの「国家像」 ―

・1853年、ペリーが来る

浦賀沖に4隻のアメリカ艦隊が現れます。司令官はマシュー・ペリー。日本側から見れば「黒船」です。しかし、アメリカ側から見れば、この来航には長い歴史がありました。大西洋岸の小さな十三植民地から始まったアメリカが、独立し、憲法を作り、領土を拡大し、太平洋へ進出した。その結果として、日本の目の前にアメリカ海軍の艦船が現れたのです。つまり、ペリー来航は突然起こった出来事ではありません。ジェームズタウン建設から約250年にわたる北米史の延長線上にあった出来事なのです。

・江戸とワシントンD.C.が太平洋を挟んで向き合う

ここまでの連載を振り返ると、非常に興味深い対比が見えてきます。

1603年。徳川家康が江戸幕府を開きました。

1607年。イギリス人がジェームズタウンを建設しました。

1608年。フランス人がケベックを建設しました。

その後、日本では江戸が世界最大級の都市へ成長します。

北米では植民地が増え、独立運動が起こります。

1776年。アメリカが独立を宣言。

1787年。アメリカ合衆国憲法。

1789年。ワシントンが初代大統領に就任。

1800年。ワシントンD.C.へ連邦政府が移転。

そして1853年。アメリカ艦隊が浦賀へ到着。

約250年かけて、「江戸」と「新しいアメリカ」が太平洋を挟んで出会うのです。

・二つの社会は「遅れて出会った」のではない

ここで、この連載で最も大切なことを一つ確認しておきたいと思います。

19世紀の日本とアメリカを比較すると、ときに、「近代化したアメリカが、遅れた日本を開国させた」という単純な物語で説明されることがあります。しかし、これは正確ではありません。日本は約250年にわたる平和の中で、高い識字率、全国的な交通網、発達した商品経済、巨大都市、出版文化、高度な金融市場、優れた測量技術、独自の学問を発展させていました。

アメリカもまた、憲法、議会、大統領制、市場経済、出版文化、科学技術、西部探検、大西洋・太平洋交易という独自の社会を形成していました。

両国は「進んでいる・遅れている」という関係ではなく、異なる歴史を歩んできた二つの社会だったのです。だからこそ、ペリー来航は単なる「開国事件」ではありません。それは、二つの異なる近代が初めて本格的に向き合った瞬間だったと考えることができます。

次回予告

次回はいよいよ、連載の大きな転換点です。第10回「黒船が来た!」

― ペリー来航と、アメリカ西部開拓の歴史 ―1853年、浦賀沖に現れた4隻の黒船。しかし、なぜアメリカは日本へやって来たのでしょうか。その理由を理解するには、アメリカが西へ進み、カリフォルニアを獲得し、太平洋国家になっていく歴史を知る必要があります。さらに、日本側ではペリー来航をどのように受け止めたのか。江戸の人々は黒船を見て何を感じたのか。そして、アメリカ人から見た日本とはどのような国だったのか。ジェームズタウンから始まった北米の歴史が、ついに江戸へ到達します。

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