日本史と世界史で読み解く 日米物語 第15回(2) ワシントン会議と太平洋の秩序

― 「5:5:3」の裏側で、日米は何を考えていたのか ―
・「5:5:3」の意味
ワシントン会議で最も有名なのが、「5:5:3」という数字です。これは主力艦の保有量について、アメリカ:5、イギリス:5、日本:3という比率を設定したものです。フランスとイタリアはそれぞれ1.67程度とされました。
現代の感覚では、「なぜ日本だけ少ないのか」と思うでしょう。実際、日本国内でも大きな議論になりました。
・日本海軍の「対米七割」
日本海軍では以前から、「対米七割」という考え方がありました。アメリカ海軍に対して70%程度の戦力があれば、太平洋で戦う場合に十分対抗できるという考えです。
ところがワシントン海軍軍縮条約では、日本の主力艦保有量はアメリカの60%となりました。そのため、海軍内部には強い不満が生まれます。「これではアメリカに対抗できない」というわけです。
しかし、加藤友三郎らは軍縮を支持しました。加藤は、限られた国力をすべて軍備に投入することの危険性を理解していたのです。
・「戦争をしないための軍縮」
加藤友三郎は、海軍軍人でありながら軍縮を支持した人物として重要です。彼にとって重要だったのは、「アメリカに勝てる海軍を作ること」ではなく、「そもそもアメリカと戦争をしないこと」でした。この考え方は非常に重要です。軍事力を増やせば安全になるとは限りません。相手も軍備を増やせば、軍拡競争になります。その結果、「相手がこれだけ軍艦を作ったから、こちらも作らなければならない」という悪循環に陥ります。軍縮とは、この競争そのものを止めようとする試みでした。
・ワシントン海軍軍縮条約
1922年2月、ワシントン海軍軍縮条約が調印されます。アメリカ。イギリス。日本。フランス。イタリア。の五カ国が参加しました。主力艦の保有量を制限し、新しい戦艦の建造も一定期間制限します。さらに、既存の戦艦を廃棄することも決められました。世界史上初めて、大国が自らの海軍力を国際条約によって制限したのです。これは画期的な出来事でした。
・「軍縮=日本の敗北」ではない 後世から見ると、「5:5:3」という数字だけが強調されることがあります。しかし、当時の日本政府が軍縮を受け入れた理由は、単純に「アメリカに負けた」からではありません。日本には財政上の問題がありました。第一次世界大戦中の好景気の後、経済は不安定になっています。巨大な海軍を維持するには莫大な費用がかかります。軍艦を建造する費用があれば、鉄道。学校。産業。社会政策。などにも使うことができます。軍縮には、「国家の限られた資源をどこに使うのか」という問題も含まれていたのです。
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