日本史と世界史で読み解く 日米物語 第15回(1) ワシントン会議と太平洋の秩序

― 「5:5:3」の裏側で、日米は何を考えていたのか ―
1921年11月、アメリカの首都ワシントンに世界の主要国が集まりました。第一次世界大戦が終わってから、まだ3年ほどしか経っていません。今から100年位前の話です。
ヨーロッパは戦争によって大きな被害を受け、ドイツは敗北し、ロシアでは革命が起きました。一方、アメリカは世界最大級の経済力を持つ国となり、日本も東アジアの列強として国際的な地位を高めていました。
しかし、戦争が終わったからといって、世界が平和になったわけではありません。特に太平洋では、日本、アメリカ、イギリスが海軍力を競い、中国をめぐる利害も複雑に絡み合っていました。このまま軍拡競争が続けば、再び大きな戦争になるかもしれない。そこで開かれたのが、ワシントン会議です。
・「戦艦を減らして平和を作る」という発想
ワシントン会議の最大のテーマは海軍軍縮でした。第一次世界大戦では、戦車、航空機、潜水艦など新しい兵器が登場しました。しかし、戦争の主役の一つだったのは依然として巨大な戦艦です。戦艦は非常に高価でした。建造するだけでも莫大な費用がかかります。さらに、燃料、乗組員、基地、修理施設なども必要です。これも今も変わりません。各国が競って戦艦を建造すれば、国家財政は圧迫されます。現在はさらに高価な兵器が開発されたので、当時よりもさらに国家財政への圧迫は大きく、国力の差が顕著になりました。
そこで、「お互いに軍艦を減らせば、戦争の危険も減るのではないか」という考え方が生まれました。これは現在から見ると当たり前に思えるかもしれません。しかし、当時としては画期的な試みでした。
・主役はアメリカだった
会議を主導したのはアメリカです。当時のアメリカでは、第一次世界大戦後の厭戦気分が強く、戦争を避けたいという世論がありました。また、アメリカはイギリスや日本との海軍競争を続けることに大きな費用がかかることも理解していました。特に日本の海軍力が強くなることは、太平洋におけるアメリカの安全保障にとって無視できない問題でした。
そこでアメリカは、軍縮を進めながら、自国の太平洋における立場を確保するという外交を進めたのです。
・日本も会議に参加する
日本からは加藤友三郎を中心とする代表団が参加しました。当時の日本海軍は、日露戦争の日本海海戦でロシア艦隊を破った経験を持っています。その後も海軍力を強化していました。
日本では「八八艦隊」という大規模な海軍整備構想が進められていました。これは、戦艦8隻と巡洋戦艦8隻を中心とする強力な艦隊を整備するという計画です。しかし、その費用は莫大でした。日本の国家財政にとっても大きな負担になります。そのため、軍縮には日本側にも現実的なメリットがありました。
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