日本史と世界史で読み解く 日米物語 第15回(4) ワシントン会議と太平洋の秩序

十三夜の月のイラスト

― 「5:5:3」の裏側で、日米は何を考えていたのか ―

・日本の軍人・政治家の不満

日英同盟の終了は、日本外交にとって大きな転換点でした。日本はイギリスという重要な同盟国を失いました。一方、アメリカとの関係はまだ完全に敵対しているわけではありません。

しかし、日本国内では、「欧米諸国に囲まれている」という意識が強まり始めます。特に海軍軍縮への不満を持つ軍人や政治家の間では、「ワシントン体制は日本を封じ込めるためのものではないか」という見方が生まれていきます。これが後の軍縮条約批判につながっていきます。

・日本国内では「統帥権」が問題になる

ワシントン海軍軍縮条約をめぐって、日本国内ではもう一つ重要な政治問題が起きます。

それが、統帥権(とうすいけん)です。海軍軍令部などは、軍事に関する事項について政府がどこまで関与できるのかを問題にしました。軍部の一部は、「軍の編成や作戦に関することを政府が決定するのは、統帥権を侵すのではないか」と主張します。これは後の日本政治に非常に大きな影響を与えます。

1920年代にはまだ軍部が完全に政治を支配していたわけではありません。しかし、軍部が政府や議会から独立した存在として政治的影響力を強める土台が形成されていきました。

・アメリカでは軍縮はどう受け止められたか

アメリカでは、ワシントン会議は比較的好意的に受け止められました。第一次世界大戦後のアメリカ国民には、再び巨大な戦争に巻き込まれたくないという気持ちがありました。海軍軍縮は、「平和を守りながら国家財政も節約できる」という政策だったからです。

しかし、アメリカでも孤立主義が強まり、ヨーロッパやアジアの政治に積極的に関与することへの警戒は残りました。つまり、アメリカも「世界の警察官」になったわけではありません。

・1920年代の日米関係

ワシントン会議後の日米関係は、表面的には比較的安定していました。海軍軍縮条約。九カ国条約。太平洋の現状維持。こうした国際協定によって、一定の秩序が作られました。

この体制を一般に、「ワシントン体制」と呼びます。

1920年代の国際社会では、戦争を避けるために、条約。会議。国際連盟。軍縮。外交交渉。といった仕組みが重視されました。第一次世界大戦の惨禍を繰り返したくないという願いがあったのです。

・しかし、平和は「問題の解決」ではなかった

ワシントン体制には大きな弱点がありました。それは、各国の利害そのものがなくなったわけではないことです。日本は中国や満州における権益を重視します。アメリカは中国の門戸開放を重視します。イギリスは帝国の維持を考えています。中国は主権回復を求めています。

それぞれの立場は完全には一致しません。条約は対立を一時的に抑えることはできます。しかし、対立の原因そのものを消すことはできません。

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