島原の乱



11月18日は世界一有名なネズミMickey Mouseのスクリーンデビューの日だそうですが、あちこちのサイトで紹介されるでしょうから、その話題は避けて、寛永14年神無月二十五日に起きた島原の乱についてです。今年は今日がその日にあたります。主人公ともいえる天草四郎は日本では切支丹の殉教者というイメージですが、カトリック教会は意外にも聖人扱いではなく殉教者とは認められていません。百姓一揆の首謀者ということです。「島原の乱(しまばらのらん)は、江戸時代初期に起こった江戸幕府のキリシタン弾圧に対する反乱。日本の歴史上最大規模の一揆であり、幕末以前では最後の本格的な内戦である。」(wikipedia)が日本人のほぼ共通の理解ですが、欧米とはギャップがあります。Wikipedia英語版でも日本語版と同じ内容が短く記述されているだけで、あまり関心がなさそうです。日本では天草四郎が舞台や映画、テレビゲームなどの題材になっていて、像があちこちに建っているだけでなく、ミュージアムがあるほど関心が高い人物で、伝説化しています。カリスマ的な人気があり、さまざまな軌跡を起こしたともいわれていますが、これらは後世、イエスの奇跡をなぞった逸話ものだといわれています。島原の乱の当時はまだ17歳で一揆軍の総大将となりますが、実際の指揮能力はあるはずがなく、四郎を押し立てた庄屋や浪人たちが計画実行した乱で、原因は島原藩主松倉勝家の苛酷な年貢取り立てに反発した百姓の反乱に、切支丹弾圧で改宗を拒否した信徒への拷問や処刑に反発した人々が一斉に一揆を起こしたものです。当時の百姓というのは農民だけでなく漁民や商人、職人なども含まれていました。島原は元はキリシタン大名の有馬晴信の所領で、領民のキリスト教信仰も盛んでしたが、有馬氏が転封となって、代わりに松倉重政が入封し、重政は江戸城改築の公儀普請役を受けたり、ルソン島遠征を計画して先遣隊を派遣したり、島原城を新築したりして費用がかかったため、領民から年貢を過重に取り立てたのです。次の島原藩主松倉勝家は島原の乱の失政を認めず、反乱軍がキリスト教を結束の核としていたとしてキリシタンの暴動と主張しました。江戸幕府も島原の乱をキリシタン弾圧の口実に利用したため「島原の乱=キリシタンの反乱(宗教戦争)」という見方が定着してしまいました。実際にはこの乱に有馬・小西両家に仕えた浪人などが加わっており、「キリシタンの宗教戦争と殉教物語」というイメージとは異なり、百姓一揆としての「鍬と竹槍、筵旗」とも違うことがわかっており、そのため島原の乱に参加したキリスト教徒は殉教者と認められず、首領の天草四郎も聖人の列に加えてもらえなかったということのようです。反乱軍は原城に籠城して善戦するも大軍勢に破れ、苛酷な処断により切支丹は壊滅、以後は隠れ切支丹となっていきました。

島原の乱

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