古事記
和銅4年長月十八日元明天皇の詔勅により太安万侶が古事記の編纂に着手しました。そして翌年和銅5年(712)に完成し献上されました。これが日本最古の歴史書とされています。8年後の養老4年(720)に編纂された日本書記とともに「記紀」と総称されることもあります。記紀はともに神代から上古までを記した書物ですが、古事記は出雲神話などに重きをおいているなどの違いはありますが、記紀歌謡と呼ばれる古代の歌謡を記載しており、これが日本の伝統的な和歌の元になりました。
古事記は元明天皇から稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられたことにより完成したので、稗田阿礼も編纂者の一人とする説もあります。しかし稗田阿礼は不明なことが多く実在を疑う説もありますが、実在したとして祭神に祀っている神社もあります。男なのか女なのかについても異説があります。
古事記は『帝紀』と『旧辞』とから成っています。帝紀は初代天皇から第33代天皇までの名、天皇の后妃・皇子・皇女の名、及びその子孫の氏族など、このほか皇居の名、治世年数、崩年干支・寿命、陵墓所在地、及びその治世の主な出来事などを記しています。旧辞は宮廷内の物語、皇室や国家の起源に関する話をまとめたものです。
古事記の本文は変体漢文を主体とし、古語や固有名詞のように漢文では代用しづらいものは一字一音表記としていて、歌謡は全て一字一音表記とされており、本文の一字一音表記部分を含めて上代特殊仮名遣と当時の日本語の音韻の推定の根拠となっています。古事記の中の有名な歌謡としては、須佐之男命が櫛名田比売と結婚したときに歌い、和歌の始まりとされる「八雲たつ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」や、倭建命が東征の帰途で故郷を想って歌った「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭し うるわし」などが知られており、漫画の題名やいろいろなタイトル名として今日でも使われています。まほろば、「素晴らしい場所」「住みやすい場所」という意味です。
古事記の原本は失われていて、「伊勢本系統」と「卜部本系統」の写本が現存するだけです。現存する『古事記』の写本で最古のものは、「伊勢本系統」の真福寺の僧・賢瑜によって写された真福寺本『古事記』三帖(国宝)となっています。
今、なぜか記紀について内容を学習する機会がほぼないのですが、いわゆる神話が多いせいでしょうか。しかし世界中の歴史書の最初は神話から始まるのであり、時の政権によって書かれたものなので偏りがあるのは当然です。人類学的な検証とは別に歴史を学ぶことは重要なはずですが、日本は戦後、唯物史観に支配されてきたため、諸外国に比べると異なったタイプの歴史教育になっている不思議な国です。
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