普遍主義の終焉 ― ポスコロ2 ―
Covid-19は世界の国々の実情と文化に違いをくっきりと見せてくれる結果になりました。原因はまったく同じ疫病なのに、対応する政策とシステムが国ごとに違うことが明確になり、その根底には国民の思想と文化の違い、まさにその多様性が露呈しました。厳しいロックダウンの国が多い中、国民の自主性に任せる国は少数でした。日本では憲法云々という議論がありましたが、法を守るという遵法精神そのものが文化ですし、国民の自主性こそが民主主義といえます。日本人が民主主義のお手本としてきた英米はロックダウンが中心で、国のトップも感染するという結果です。首相も大統領も軽症で済み死亡していない、ということは特別な治療があったことが想像でき、それは特別な人々が上層部を形成していると見ることができます。英米はいまだに出自や人種による身分制度が残っており、だからこそ平等が強く叫ばれるのです。日本人は欧米に行くと差別を実感します。つまり日本社会は欧米ほど差別がひどくない、ということで、日本の中で差別を強調する人たちは海外事情をよく知らない人が多いといえそうです。
この差別意識の深層心理にあるのが普遍主義という理想論です。世界の人々が友達になり、みんな仲良くなれば平和になるという理想を述べる人が多いのですが、これは構成員全員が価値観を共有するということであり、それを実現しようとするのが宗教です。どこの宗教も自分たちの宗教が普遍化し世界統一することを理想としています。現在話題の旧統一教会も名称が変わっても統一は残しています。昔、日本にやってきた伴天連も同じ理想を描いていました。彼らの植民地思想は奴隷化を前提としつつも、統一が世界平和の基本という覇権主義につながっていきました。それで既存宗教を排斥します。現在でも統一こそ平和と主張する国がたくさんあります。
一方で多様化を唱える人がいます。これも宗教的信念と類似しています。現実はもともと多様であり主張する必要はないのですが、彼らの主張点は自分たちの存在を認めよ、ということです。現状で自分たちが無視されることへの反発であり、自分たちの価値観で統一されることへの反感はもっていません。視点を変えると、多様化主義者も普遍主義の一部といえます。
普遍主義universalismの反対は相対主義relativismです。一時期ユニバーサル・デザインということで誰もが使えるという思想が流行りましたが、突き詰めていくと個人個人に合うようなデザインをする、ということであり、実は個人用ということでユニバーサルという語義には合っていません。多目的というのも結果的に特定の人の使用が前提になっています。これらは主として建築関係の概念であって、建築家の独創的な設計に対峙する利用者目線の設計をユニバーサルと呼んだにすぎません。似たような発想に政治・経済のグローバリズムがあります。経済思想を統一化して輸出入を自由化し世界を統一化することを理想としたのですが、コロナ禍によって、それが不可能ということがわかりました。グローバリズムは覇権主義と表裏一体です。このため戦争が多発します。戦争はナショナリズムの結果という分析が正当かどうか再考すべき時期でしょう。
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