アイスクリームの日
5月9日はアイスクリームの日だそうです。1964年(昭和39年)、日本アイスクリーム協会の前身、東京アイスクリーム協会がさまざまな施設にアイスクリームを寄贈するなどしてアイスクリームの普及を図りました。そこで毎年5月9日を「アイスクリームの日」と制定したのだそうです。
現在ではアイスクリームはもう当たり前でいろいろなアレンジが広がっていますが、1960年代はまだ高級品で一般的ではなかったのです。その頃は夏の定番はかき氷や氷スイカでした。スイカも今では冷蔵庫で冷やして食べるのが当たり前ですが、冷蔵庫も小さくスイカは井戸水で冷やすのが普通で、大きな氷で冷やしたスイカを氷スイカとして売られていました。子供たちはアイスキャンデーを食べるのが楽しみで、高いアイスクリームは滅多に食べられませんでした。本格的なアイスクリームはレストランにしかでてきませんが、氷菓子としてのあいすくりんは工場で生産され、自転車で売り歩く商売もあり、今でも地方の一部にレトロ感覚として売られているようです。5月9日に設定されたのは、明治2年(1869年)、元旗本の町田房造が日本初となるアイスクリームの「あいすくりん」を発売した日だからだそうです。町田房造の氷水屋があった横浜の馬車道にはアイスクリーム発祥の地として「太陽の母子」という記念像が置かれていますが、同じものが札幌と大阪にもあります。こちらはアイスクリームとは関係がありません。制作を依頼された本郷新は「太陽の母子」をアイスクリームの原料ミルクから連想して、母乳で子どもを育む「母」のイメージで制作したのが理由だそうです。発祥の地とモニュメントには直接の関連がないのです。
日本人で初めてアイスクリームを食べたのは江戸末期の幕府の使節団だそうですから、安政7年(1860年)日米修好通商条約批准書交換のため、新見正興を正使とする遣米使節団が米軍艦ポーハタン号に乗って訪米しました。この中に小栗忠順がいました。また護衛艦として幕府海軍の咸臨丸が派遣され木村喜毅が司令官で艦長は勝海舟、木村の従者に福沢諭吉とありますから、勝海舟も福沢諭吉もアイスクリームを食べたのでしょう。アイスクリームのような氷菓子には氷を作る技術が必要なので、普及には冷凍技術の発展が不可欠でした。アイスクリームが不可欠なのはアメリカ人でしょう。米軍の必需品になっており、戦地へも輸送されます。米軍はアイスクリームが食べられなくなったということは兵站が途切れたということで、戦闘維持が無理と判断し撤退するといわれています。アラビア半島のような暑いところでアイスクリームを運搬するのはかなり大変ですが、湾岸戦争の時には日本の自衛隊が後方支援ということで、アイスクリーム輸送を担当したという話を聞いたことがあります。日本人からすると馬鹿にされたような感じをもつと思いますが、米軍にとっては弾薬や燃料と並ぶ重要な食料品であり、日本人ならおにぎりやパンが食べられないとか、風呂に入れないというのに似た感覚です。アメリカに留学した学生が大学の学食でアイスクリーム食べ放題(食べ物はおかわり自由が原則)なのに感激し、しかも乳脂肪分と糖分が多くておいしいため、食べ過ぎで必ず太るという伝説は本当です。日本に来たアメリカ人学生が日本のアイスクリームを食べて、これはダイエット用かと思うのも当然です。だから日本人は痩せているのだと本気で信じるようです。米とあのアイスクリームを食べれば痩せると思うようです。日本ではダイエットに米とアイスは避ける、というのと逆になります。
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