相対と絶対
相対・絶対という概念は簡単ですが、応用が結構難しいです。最適は相対的概念なのですが絶対的に応用している人がいます。最近は「多様化」が流行ですが、多様化は相対的でしょうか絶対的でしょうか。現在の風潮では多様化することが絶対的に正しいと考えている人が多数です。それは価値観です。価値観が相対的な人は稀有で普通は受け入れるか受け入れないかの二者選択でしょう。ところが自分が心理的に受け入れることができる人かどうかの判断は相対的です。Aさんの方がBさんより受け入れやすいというのが普通です。自分の価値観が絶対的な物差しなので、それを基準にして相対的に判断できるわけで、物差しがないとか、物差しが違うと判断ができなくなります。例えばA店のラーメンとB店の餃子はどちらがおいしいですか、という質問には答えられないと思います。同じ食べ物でないと比較できないです。しかし例えば日本酒が大好きという人にとって、C社のビールとD社のビールのどちらが好きですかと聞かれても困るでしょう。
価値判断と似ているのが政治的思想とか宗教観で、これは相対的であることはまずないです。自分の信条に合うものだけがよくて、他のものはよくない、という排他的なものです。ただしこれは自分の範囲内であれば問題はないのですが、他人にまで拡大すると社会問題になります。
勝負も絶対的なもので、勝と負が絶対的にあり、引き分けは相対的になります。勝負によって引き分けがない競技も多いです。裁判も勝敗が明確で、和解という勝敗を明確にしない判断もありますが、それは民事訴訟の場合で、死刑判決に相対性はありません。おはぎではないので「半殺し」はありえないのです。生死もきちんと区別されています。
政治思想でも共産主義や宗教主義や王政は絶対的なもので、民主主義は相対的です。一方、思想や文化は多数が併存しており選択は相対的ですから、統一思想や単一文化は存在が困難になります。それで文化複合主義と民主主義は同じ相対的価値観なので親和性が高いわけです。絶対的政治体制である共産主義や王政では思想の統一、宗教の統一は不可欠で排他的にならざるをえません。
そもそも相対か絶対か、という命題は選択の問題ではなく、どちらも存在します。善と悪も悪があるから善があるわけで、生死も生があるから死がある、という概念なので、この相対する概念を相対とみるか、絶対と見るかで考え方が違ってきます。それが哲学的命題でもあります。
哲学的問題は簡単には解決できないので、一般人はまず相対と絶対がある、ということを理解し、現在はどちらの価値観で判断しているかを見極めると、意外に悩みが解決することがある、という知恵を学んでみてください。「生きるべきか死ぬべきか」というハムレットの名言は原語ではTo be or not to be.で直訳なら「存在するべきか、存在しないべきか」とか「あるがままか、変えるべきか」とか訳すべきでした。現代訳なら「このまま生きていくか、別の道を選ぶか」みたいな訳の方がハムレットの心情がわかりやすいと思います。そしてこれは相対的な選択ではなく絶対的な選択なのです。
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