触覚の不思議
人間の感覚は視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感と思われています。これを定めたのはアリストテレスだということですから、近代的には別の分析があります。普通の感覚だと、それ以外に「痛い」とか「熱い」とか感じますが、これは痛覚というようです。ただ五感のように具体的な感覚器官つまり目、耳、鼻、舌、皮膚のような目に見える部位がないため、例外的に思われてきました。
般若心経では「無眼耳鼻舌身意、無色声香味触法」と説いています。文教的な意味はひとまず脇において置くとして、語感ではなく、六器官と六感を示しているのは興味深いです。若干解説すると、色とは視覚のことですが、実際は広い感覚全般の意味をもっています。声は発声のことではなく音声情報です。身は全身ということですが、現代的には皮膚感覚です。意という器官は実際にはなく、現代的に解釈するなら脳でしょう。そして脳が認識する感覚を法と定義しています。仏教の法にはいろいろな意味がありますが、現代的に解釈するならロジックということだと思っています。目、耳、鼻、舌、皮膚の感覚情報は脳の共通の入り口を通って、大脳皮質で知覚されると同時に記憶されます。痛覚は本来生体に加えられた危害に対する警告反応であり、生存には必要欠くべからざる感覚であるが、痛みの原因が体内にあり、除けない場合には慢性痛になる。痛みが病態そのものとなり、感情が関与してくる。ています。おもしろいのは仏教でも痛覚や温度感覚は指摘されていません。あえて言えば、身体で感じる触覚に含まれているのかもしれません。
触覚も受信側が感じるだけですが、コミュニケーションとして利用されることはしばしばあります。握手やハグは触覚中心ですし、キスなども触覚中心です。触れられることに対する認識は心理的に大きな効果をもち、スキンシップなどの良い側面がある一方、セクハラなどの否定的な側面もあります。発信側(接触行動する側)には意図があるのが普通で、それだけに受信側はその意図に対する感情が強いといえます。意図が感じられない接触、たとえば満員電車ではやむをえないものとして受容します。また医師による触診は意図があっても、当然として受け入れるのが普通です。マッサージでも同じ現象があります。接触部位による反応の違いもあります。頭の上を触る行為は子供などでは慈しみとみなす文化が多いのですが、侮蔑とする文化もあります。ポンと肩や背中を軽く叩く行為は親しみや励ましとされる文化があります。アラブ圏などでは膝を掴むことも親愛の情ということですが、欧米人やアジア人には不愉快でしょう。道具などによる接触の場合でも反応は異なります。直接触るか棒などを使う場合では反応が変わります。接触行為は心理的効果が大きい分、文化による違いも大きいためか、扱いが難しい領域です。
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