教育は大量生産ではない
最近の塾の宣伝を見ていると「個別指導」を売り物にしているところが目立つようになってきました。日本の教育は公教育といわれる学校教育の他に、塾や各種学校のような私教育があるとされています。この思想の背景には、何となく、公が偉くて私が低いような意識がありそうです。実際、税金の徴収や補助金などを見ると、明らかな差別があります。官尊民卑の意識が今も続いています。この教育の官尊民卑の意識は明治から始まったと想像されます。江戸時代までは各藩に藩校があり、寺子屋があって、それぞれ独自の教育方針をもっていました。しかし、明治維新によって、富国強兵政策の一環として、庶民にも普通教育を受けさせる、という美名の元に全国に小学校を創設していきました。本当に庶民に等しくと考えたなら、女子教育もそうあるべきでしたが、実際には男子中心であり、それは兵になるのは男子のみという意識があったからです。
強兵教育の基本は各個人の能力を伸ばすことではなく、画一的な思想をもち従順な人物形成が重要であり、その思想が反映されたのが教育勅語です。以下は現代語訳の一例です。
「朕が思うに、歴代の天皇が国を治められたのは、広く遠くまで道徳が行き渡り、道徳が深く厚かったからなのです。国民が忠義に厚く、よく孝行し、億兆の心を一つにして、その世代世代において美徳をなしてきたことが、我が国の国のあり方の本質であり優れた点であり、教育の根本であり核心部分でもあるのです。あなたたち国民はお父さんやお母さんに親孝行し、兄弟は仲良くし、夫婦は仲睦まじく、友人とは信じあい、他人にはうやうやしく、自分には慎み深く振る舞い、周囲の人に優しくして、学問をおさめ、仕事の技術を習うことで、智能を広く高め、徳と才能を磨いて、公共の利益を広め、世の務めを果たして、常に国の憲法を重視し、国の法律を尊びなさい。ひとたび緊急な事態が起これば、勇気を持って公に奉仕し、永遠に続く皇統の運命を助けなさい。このようなことは、ただ朕にとっての忠義心に溢れた良い国民であるのみならず、先祖から教えられた風習を明らかにものなのです。この道徳は実に我が歴代の天皇が残した教訓であり、その子孫と国民がともに守っていくべきものであり、古くからあるが現代でも通じるもので間違いはなく、また、国内国外であっても道理に外れることのないものです。朕はあなたたち臣民とともに、よくよく心に留め、皆、その道徳を一つにしていることを切に願うものです。」(https://nihonsinwa.com/page/2754.html)この教育勅語については賛否両論がありますが、要するに道徳を説いたものであることは明白です。その是非を問うのではなく、当時は国家統一的な教育を重視していたことを知っておきたいです。戦後の改革でも国家統一的教育の思想は変わらず、今も文部科学省による統制的な教育体制が続いています。しかし一方で昔ほど教育に予算をかけなくなりました。教育界も思想的な問題は議論する割に内容の議論は少なく、世界ランキングを気にする割に改革しようという意見はないので、根本的な教育思想の改革が必要でしょう。
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