大量生産から個別生産へ


個別生産

これまでの産業の発達は、職人が1つ1つ手作りしていた時代から、機械工業へと変わり、大量生産によるコストダウンと大量消費が行われることにより、なされてきました。大量生産と大量消費という産業モデルには、コストダウンという大きな利益をもたらす要因があり、世界中で受け入れられてきましたし、今もその流れは続いています。

しかし大量消費には限界があり、物がない時代には何を作っても売れたのですが、ある程度、供給がいきわたると、商品の差別化が必要になり、デザイン性や個人的好みが反映されるようになります。アパレル産業を見ればわかるように、着るものがあまりない時代には、修理して長く着るようにしたり、古着を買うことが一般的でしたが、素材である繊維が丈夫になり、絹や綿のような生産に手間のかかるものから、化学合成繊維のように大量に安価に入手できるようになると、服に対する考え方も変わりました。とくに、いわゆる先進国では、供給過剰になるため、需要を喚起するために流行を宣伝することになります。着る物がファッション(流行)により左右される時代になったわけです。それにも限界があるため、定期的に循環させることでデザインを使い回して、どうにかつないでいるのが現状です。

近年のスマートフォンでは、通信機能だけでなく、カメラや音響などの機能を搭載し、さらには辞書機能や地図やゲーム機能、通信を利用した検索機能を付加することで、多機能化し、買い替えを促進する市場展開をしています。これらの商品では他との差別化と大量生産という相互に矛盾した目的を追求していますが、市場性が高く利益性が高いため、しのぎを削っているのが現状です。しかしそろそろ限界に来ているというのが誰の目にも明らかになっています。

半導体という、現在は「産業のコメ」とまでいわれている部品も、昔は統一規格であったものが、最近は使用目的別の生産という形になり、速度競争にも限界が見えてきています。速度競争に敗れた製品は全く売れずに損失となるため、廃業したメーカーも数多くあります。しかし、そのために投資した資金は膨大であり、社会的損失も大きいのです。

こうした最先端といわれている産業製品も大量生産と大量消費が前提として成り立っているので、そういう産業構造と思想が転換期にあると思われます。大量生産の一方で、職人技による個別生産は価値が高くなり、技術が見直されるようになってきました。美術の例でいえば、昔の肖像画は絵師が1枚づつ描いていたので、貴族などの特別な人しかできなかったものが、写真の進化と発達の結果、今では誰でも簡単に自分や他人の写真、風景を撮ることができます。その分、プロの写真家や画家の画像には高い値段がつきます。工芸品でも同じで、大量生産の器よりも、職人の作る一点物が珍重されています。これは、ないものねだり、などではなく、商品への価値観が変わったことを意味します。これからは個別生産の時代に入るのではないでしょうか。

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