テストと点数
30年程前になりますが、北欧の教育関係者と討論する機会がありました。その時、驚いたのが北欧ではテストをしたり、点数化することは滅多にない、ということでした。日本では日常的ですし、テストをして採点して点数化することは当たり前です。採点は教師にとって負担の大きい作業ですが、点数化なしに成績をつけることはできませんし、テストは必要なもの、と認識しているのが日本の教師です。日本だけでなく、アメリカも同じですし、アジアの多くの国でも常識化しています。しかしよく考えると、本当に常識なのか再考の余地があります。
そもそも教師は生徒を評価しなければならないと考えることが正しいかどうかです。その時の議論では、教師は生徒を指導し、その生徒が人間として成長することが教育の目的であって、評価は成長とは関係がない、ということでした。評価が必要な場合というのは、たとえば入学や就職が思い浮かぶのですが、入学や就職に合否がなく、希望すれば入学や就職ができるのであれば、試験は不要で合否の必要がありません。仮に試験をするにしても、面接による人物評価が第一で、強いて教師が関わるとしたら推薦状でしょう。推薦状は無論、教師の主観であり、その主観を大切にする評価法もあってよいわけです。日本では客観的評価が異常に重視されますが、なぜなのでしょうか。客観的評価を偏重する結果、点数主義に陥ることになります。そこで発想を根本的に変え、入学や就職に試験をせず、まずはやらせてみて、合うかどうかを相互に判断することにします。教育がすべて無償であることが前提で、生徒が自由に学習できるという条件があれば、転校も自由であり、生徒は自分の適性と能力に合う学校を選んでいくことができる、というのが理想です。その時の議論では、その理想に近づける努力をしているということで、たとえば義務教育は9年制ですが、ずっと一人の先生が教えることが多いのだそうです。そうすれば生徒のことを一番よくわかっているのが先生なので、先生は自信をもって推薦状を書ける、ということだそうです。日本だと先生と生徒の相性のようなことが議論になりますが、彼らによれば、先生は生徒より年齢がはるかに上ですから、うまく指導できるし、できなければいけないのだそうです。また教員採用は教育委員会という点は同じですが、教育委員会は学校の教師と父兄つまりPTAから構成され、教員になりたい人はまずインターンのような形で先生のアシスタントをします。先生はクラス経営と同時にインターン指導をし、適性を評価します。評価内容は「教師に向いていない」「教師に向いている」の他に「学校経営に向いている」などです。その結果を校長に進言し、教師に向いていると評価された場合は、インターンから、あるいはインターンのまま師範学校に進学します。経営に向いていると評価されたら大学の教育学部に進学します。そして修業後は元の学校に採用されます。教育予算は国税から人口比に応じた配分なので、地域は自由に予算執行でき人事も地域決定です。日本とは根本的に教育思想が違うので、参考にはなりませんね。
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