一般意味論 4



「地図」という情報世界と「現地」という現実世界を分けて考えることは現代ではますます重要になってきています。仮想現実(VR)は地図にすぎません。これはVRゴーグルを架けたりするので、その時点で現実との違いを認識しやすいのですが、テレビやSNSによる情報は現実との境が曖昧であり、誤認されやすい性質を持っています。捏造というのはまったく現地が存在しない架空の地図なのですが、昔からある「宝を隠した地図」のように真偽が確定しないものもあります。もっともこういう地図のほとんどはマヤカシであることが多いのですが、欲のある人はどうしても信じてしまうのです。地図は現地を正確に記述したものではなく、適当に切り取って、「必要な」情報だけを記載したものです。現地には建物や歩いている人や犬や猫がいるとしても、地図には記述されません。それは、現地は刻々と変化しているのにも関わらず、地図はある一瞬の一部だけを切り取ったものだからです。地図と現地の時間的差異に注目しておくと、両者の違いは比較的わかりやすいです。たとえばテレビやSNSのニュースはすべて現地の過去です。「起きたこと」がニュースであって、「起きていること」が報道されることは滅多にありません。まして「これから起こること」は報道できるはずがありません。天気予報は「これから起こること」を予想しているのですが、よくはずれることがあります。それは一般意味論の用語を使えば、類推と判断であって、それが予報の本質です。それは経済予測や選挙予測にも当てはまります。しかし現代社会はこうした「未来の地図」が大好きな人が多いのが問題です。「未来は神のみぞ知る」という当たり前のことが忘れられ、自称神様の予言を信じる人が多いのが現代です。そのご託宣を拡散しているのがマスコミです。現代は地図だらけ、地図作りに夢中の人が多いのですが、そのための弊害も目立ってきています。とくに金儲けに熱心な人は未来の地図が宝物の地図に思えてくるようです。こうした地図と現地の違いをはっきりと認識する方法の1つが、「地図は記号でできている」ということです。記号というのは意味を狭く理解されていますが、物の代理をしているという意味では、写真や絵、イラスト、そして言語が広く含まれます。昔から、とくに言語のもつ力が強調されてきました。誰か有名な人、権威のある人の言葉はそのまま真実ととられたり、文字で書いてある書面はすべて真実であるかのような錯覚です。そして法律は言語により記述された体系なので、現実を反映していないことは誰でもすぐに実感できるのですが、法律を絶対視する思想の人は案外多いものです。とくに宗教法は神様とイコールなので、宗教法典と法律が一致している国家では、地図が絶対視される文化になっています。このように仮に地図と現地の違いがわかっても、どちらを絶対視するかは思想によって異なります。現実主義の人もいれば、理想主義の人もいます。言語を絶対視する人もいます。しかしそうした思想は別にして、まず地図と現地を識別することで、わかってくることが多いと一般意味論は説いています。

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