理想と現実のギャップ


理想と現実

理想と現実には大きな差があることは誰でも知っています。しかし案外理解されていません。いわゆる理想論を唱える人はそれだけに終わることが多く、現実化しようと努力する人は稀有です。机上論の人が多いのです。理想論を構築するのは意外に簡単で、特定の思想をもてば、その思想に沿うような抽象的な理念を思えばよいわけです。善悪の判断を別にすれば、戦争のない世界、人々が互いに信じあう世界、のような理念は誰も反対しません。しかしそれを現実化することはかなり大変で、実現するかどうかもわからないどころか、人類の歴史や現実の世界情勢を見ると不可能に思えるのです。理想に向かって努力することは大切ですが、完全に成功するということは望むべくもありません。そこでどの程度まで実現するかという目標を立てて、段階的な実現を成功として考えるということになりますが、それを妥協として認めるか、どこまで妥協するか、という価値観が必要になってきます。あくまでも、どこまでも妥協しない、という理想主義者もあれば、かなりのところまで妥協していく現実主義者もいます。その価値観の差で互いを批判し合っているのが現実です。一般人として理解しておきたいのは、理想というのは抽象的な思考の産物であり現実ではない、ということ。そして、その目標も抽象的な思考であるということです。

現在、日本ではSDGsがあたかも義務であるかのような雰囲気が広がっていますが、その提唱者である国連の核となっていたヨーロッパは、次第に現実論に向かってきており、目の前の経済問題の前に、かなり後退傾向にあります。たとえば電気自動車ですが、実際に普及させてみたら、いろいろな不都合が出てくるわけです。また電力が二酸化炭素の発生なしに作れるわけでもないので、自動車としてガソリン車が目の前で二酸化炭素を排出しているか、電力だと目の前で排出していない、の違いであって、総量としての比較は現実として計算していなかったことに直面するわけです。また国民としては電気自動車は高価格で、しかも電気料金が高いので、負担は相当な額になります。その負担を転嫁するためには、新たな二酸化炭素排出による産業が必要になるかもしれません。

理想を現実化しようとすると、実際にやってみないとわからないことが多く、想定外のことが多く発生します。かといってすべて想定することは不可能といえます。つまり理想論の現実化には多くの課題があり、その課題をすべて想定するには、相当の経験と技術がないとできないわけです。ところがそういう深い経験と知識と技術がある人は理想論を語らないのです。なぜなら、いずれぶつかるであろう障壁が想像でき、その課題解決の困難さが想定できるからです。かといって、そういう人が進歩を否定しているかというと、そうでもなく、地道な進歩に貢献しているものです。現実主義者リアリストは理想主義者に比べて、とかく低く評価されることが多いのですが、とくに政治の世界ではその傾向が強いようです。選挙の公約は実現されないことが当たり前のような風潮は改善しないといけないと思われます。

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