イメージと実在のギャップ


視察

日本人が欧米の理念を導入する場合、理想としてイメージして展開することが多く、実態を把握していないことが往々にして見られます。

たとえばバイリンガル教育ですが、アメリカの現場を調査した人は稀有だと思われます。多くの紹介者は本で読んだり、アメリカに行っても大学の講義とか、教育センターの役人にたずねる程度の調査をしたケースがよく見られます。英語の問題もあるのでしょうが、現場の学校に出向いても、視察するだけで、インタビューするケースは稀です。アメリカの現場でよく質問されたのが「日本の政府から来たという団体が視察したい、ということで、現場は忙しい中を準備をして、討論に備えて先生方も集めておいたのに、現場をさっと眺めて写真をとって、質問もないまま、集合写真だけ撮って帰っていった。一度だけなら、わからなくもないが、毎年のように次々にやってきて、しかも団体のメンバーが毎年変わる。これはどういうわけなのだ?」ということです。質問(というより半分怒っている)されて、答えに窮しました。「彼らは現場に興味があるわけでなく、旅行のネタにしただけです。」と説明し、怪訝な顔のままですが、どうにか納得してくれました。そのせいか、こちらの質問には実に丁寧に答えてくれて、裏の事情とか、現場の不満のようなことも正直に教えてもらうことができました。

日本から現地に行く人は旅行者、留学生、公務出張の3種類しかないのが実情で、しかも言語障壁と議論しないという日本の習慣があって、現地の人々にとって、不思議な民族という印象を与えてきました。現地に迷惑をかけたり、犯罪に手を染めるわけではないので、敵視はされないのですが、完全に信用されることもないのです。そういう偏った人々の情報が伝わり、日本で進化するので、現地とは違った形になります。その1つの例がバイリンガル教育です。理念については書籍で理解しておき、法的根拠も調べてから、現場に行くと、理念との違いがはっきりわかります。

ヒスパニックと呼ばれるスペイン語を母語とする中南米からの移民の場合は、ある程度は成功しました。その背景にはスペイン語の教科書もあり、ヒスパニック出身の教師も比較的得やすいためです。しかしネイティブ・アメリカンとなると、事情は一変します。部族語は大きく10の大分類に分かれ、さらに部族語に細かくわかれ、部族間のコミュニケーションもスムーズでなく、その数は数百と言われています。あの広大なアメリカ大陸に部族ごとに住んでいたのですから、当然のことです。そもそも文字がない言語が多く、口語しかありません。それで各語ごとに教科書を作り、教師養成など不可能に近いのです。いわゆる居留地に小さな学校があり、そこの教師は必至に部族語と部族文化を維持したく、子供たちに教えているのですが、人口が少ないと自治政府がくれる費用も少なく、自分の跡継ぎがいないことを嘆いていました。親からは英語ができるようになって、いい仕事につけるようにしてくれ、という要望が強く、誇りよりも、まず日々の生活というのが希望だといいます。それくらい貧しいのです。

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