商品としての言語1 英語など


英語教育

自然や歴史と同じく、目に見えないため、商品とは考えないのですが、実際には売り買いの対象になっているものはたくさんあります。その1つが言語です。

言語が商品、というと違和感を覚える日本人が多いと思います。言霊(ことだま)という思想があるように、ことばは魂であって、超自然的な力があるので、商品ではない、と考えがちです。そこでまず比較的わかりやすい英語の例を考えてみます。日本でも、英語教育は盛んですが、無料ということは例外的で、義務教育期間の英語の時間くらいです。本当は英語教育にもかなりのコストがかかっていて、それが利用者である生徒に無償で提供されているだけです。しかし無償の商品は「サービス」であって、ありがたいとは思わず、あって当然と考える人が多く、無駄に消費しがちです。学校時代、英語が嫌いで放置しておき、卒業後に勉強したがる日本人がなんと多いことでしょうか。その時には有料の英語学校しかないので、学校でもっと勉強しておけばよかった、と後悔することになるわけです。中には「教え方が悪かった」とか「教師が嫌いだった」とか、自分のせいではないと主張する人がいますが、せっかく無償で提供されているのを無視してきた自分の責任は認めない、という自己中心的な主張であることになかなか気づかないものです。

ここでは言語教育だけに話しを集中しますが、言語教育として、国語と英語が日本では義務化されています。国語は自国語なので、どこの国でも国民教育の中心においています。また移民にも提供しています。しかし英語はなぜでしょうか。日本が英米の植民地であれば、英語教育を強制されることが植民地政策の基本として実施されることは理解できます。実際、外国語教育は武器と考える国は多く、また言語を商品化して、外国に売り出す国は多くあります。戦前の日本では、英語は限られた人々のみが学習し、学習結果は実用化されて、職業になったり、出世の道具になっていました。高い「商品」であったので、お金持ちしか買うことができなかったのです。しかし戦後、アメリカ軍は占領政策として、アメリカ英語を普及させようとしました。占領政策である証拠は、戦前は英国英語であったのが、戦後はアメリカ英語に転換させられたことです。そして義務教育化されました。結果として、アメリカ人英語教師は増え、またアメリカ系キリスト教の教会が増え、「カムカム英語」に代表されるアメリカ英語の普及、アメリカ音楽やアメリカ映画などによる文化の普及、など幅広い英語政策が実施されました。結果としてみれば、アメリカ英語がわかる日本人は圧倒的に増え、結果として、アメリカ英語からの借入語が大量に増え、近年はアルファベットや頭韻語まで浸透してきています。これは他の言語、同じ印欧語の中で、フランス語、ドイツ語、ロシア語などに比べると、普及度が異常です。今は誰も異常と気が付かないほどですが、歴史を考えると、昔から日本が英語国ではなく、ごく最近の現象であることがわかります。

世界には英語以外の言語が同様の支配を進めた例が多くあります。言語が武器であり商品であることがわかります。

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