商品としての言語2 日本国内の言語
国語といえば日本語のことですが、日本という国の中には日本語以外の言語も存在しています。「日本は単一民族、単一言語の国」というのは現実を見ていない理念にすぎません。現在はアイヌと呼ばれている民族がいますが、昔から北方諸民族が日本の中に住んでいたことは事実ですし、多くの外国人がやってきて、日本に住んだ人がいます。古くは朝鮮半島やシナ大陸、そして南アジアからの人もいました。日本人のルーツは今も学問の世界では話題になっていますが、いろいろな血統の人が混住しているのが事実であり、それは世界中の現象です。ベットに見られるような純粋種の人類は孤立文化の少数民族を除けば、存在せず「ミックス」が大多数です。言語についても、純粋といえる言語はほぼ存在せず、近隣の言語や移民の言語と混在しているのが自然な状態です。純粋というのは理念上のことで、現実にはほぼ存在していません。自然の物でも、たとえば水は必ず何かの不純物を含んでおり、純水は人工的に作り出すしかありません。水だけでなく、あらゆる自然物は純粋な状態では存在しません。
言語でいえば、標準語というのは理念であって、現実には話す人の個性が必ず混ざります。いわば個人方言としてしか、自然状態では存在しません。国語を商品として売り出すためには、できるだけ純粋化しないと混乱が起きますから、言語教師は訓練して個性を排除し、「正しい」言語を教えるように努力します。しかしその分、「不自然さ」がでてしまいます。語学教育では先生の話す独特の話し方をteachers’ talkといい、各音をやや強調的に音素をできるだけ正確に発音します。いわゆる「文字通り」の発音をします。それが教師の技術です。アナウンサはそれに近い標準語で話すことを要求されます。こうした訓練による文体の言語が商品化されるのです。農業製品でも、畑から獲れたまま売り出すことはありません。無人の店でも、一応泥を洗ったり、多少の選別や品揃えはします。大量商品として流通に乗せるためには、さらに厳しい選別と包装したりします。それを「付加価値化」と考えています。これは魚や肉でも同じです。販売に商品化は必須な作業です。言語も商品化するには加工が必要なのです。
商品化された言語活動には、アナウンスだけでなく、落語や漫才など、声優なども含まれます。音楽も歌には言語が必須ですから、加工がなされます。最近流行のラップなどは、かなりの加工がなされています。またCMのキャッチフレーズやプロパガンダ技術も言語技術です。普段、周囲にあふれていて、言語であることに気が付かないほどです。音声だけでなく、文字も言語ですから、文字情報も含めると、現代は言語商品に囲まれている生活をしているといえます。時々、そういう生活から離脱して、自然に身を置いてリラックスしたい、という人が増えていますが、それは過剰な言語生活から逃れたい、という防衛反応ともいえます。ただ思考も言語活動なので、「何も考えない」でボーっとすることは案外むずかしいものです。
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