商品としての言語3 商品化された英語



日本は「アメリカの植民地」となってしまったせいか、アメリカ英語しか商品化されておらず、学校教育でもアメリカ英語のみが「公用語」化しています。しかし、英語を国語としている国は日本人が想像しているよりはるかに多く、有名な所としては、オーストラリア、ニュージーランド、シンガポール、フィリピン、インドなどが、日本人がよく訪れる国なので、接する機会もあります。

自分が習ったアメリカ英語とは、発音だけでなく、単語や文法も少し違うことにすぐ気が付きます。日本では普通、英語と思われていない、ジャマイカ英語や、南アフリカの英語などもあります。そして何より、日本人の英語は日本英語として、世界的には認識されています。これらの多くの英語は世界英語World Englishesという複数形で表現されています。つまり英語は1つの標準語があるわけでなく、それぞれの国に英語がある、という「多様性」のある言語です。そして案外知られていないのが、一部の国では自国の英語を商品化しています。最も有名なのがシンガポール英語とオーストラリア英語で、それぞれSinglish, Aussie として辞書の発行や文法書、教科書などを発行しているだけでなく、教師養成もしていて、世界に派遣し、自国に来てビジネスをするならば、まず自国英語を学んでください、という異文化理解の入り口として、積極的な展開をしています。日本にはまだアメリカ英語のみが英語というような公用語化が行われているので、文部科学省はじめ学校教育では他の英語を紹介していません。しかしビジネスの世界では常識になっているので、個人的に学習しています。

本来なら、反対に日本英語についても、もっと積極的に普及をめざすのが政治や外交の基本のはずですが、クールジャパン政策の中に日本英語普及という項目は見当たりません。実際には日本の音楽には最近、英語表現がたくさん入るようになり、それが英語話者には違和感があって、おもしろい、という評価をネット上で見ます。歌詞は独特の表現が多いので、その違和感がおもしろいことがしばしばあります。通常の組み合わせにない語の組み合わせが芸術的なのです。漫画の中にもそういう「通常でない」表現が溢れていますから、それが英語に翻訳されると、うまく訳されれば、とても面白いことになります。

実は明治以降、外国文学が翻訳される際に、うまく訳されて、日本人の情緒にマッチした例が数多くあります。シェイクスピアのTo be, or not to be. That is a question.は中学生にもわかる単語ばかりで、イギリス人ならその意味の奥深さが誰にでもわかります。これが日本で「生くるべきか、死ぬべきか、それが問題だ」と訳されてハムレットの苦悶を見事に表した名訳とされています。このbeはジョンレノンのlet it beと同じ語ですが、こちらは名訳がないようです。翻訳というのも言語の商品化の例ですが、近年のように英語をはめ込んだ日本の歌も英語商品になっている、という現実を考える必要があります。これも日本英語の例なのです。そして今、役人が濫造したカタカナ語が氾濫していますが、これも借入語の域を超えて日本英語化しています。

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