商品としての言語6 商品化されていないアイデアや思想
労働の一部が完全に商品化されていない一方で、同じ抽象的な行為としての宗教が意外に商品化されている現実があります。商品が定価として販売されるようになったのは、まだ最近のことです。経済的には商品の値段は需要と供給のバランスで決まるので、物価が上昇したり下降したりするわけです。定価というのは恒久的なものでなく、瞬時の受給関係で決まっているものです。価格が変動的であることは誰もが知っており、安いものを求めて探すのは当たり前です。一方で価格の根拠である価値というのは判断が難しいもので、需給関係が人により変わることがあります。その典型例が骨董品やコレクター向け商品、ブランド商品です。時には芸術品まで、その対象になることがあります。文化財などはそもそも販売されるものではないので、需給関係は成立せず商品にはなりえないので、pricelessつまり無価格が本来です。土地も昔は無価格であったものが、今では値段があるのが当たり前になってしまいました。実は世界には無価格の土地はたくさんあります。砂漠や山は無価格のままです。サハラ砂漠やエベレストの値段をごぞんじでしょうか。そして海も無価格です。無価格と無価値は別のことなのですが、最近の日本人は混同している人が多くなりました。西洋では「悪魔に魂を売る」とよく言いますが、いくらで売ったのでしょうか。これは売り買いが金のやりとり、つまり商品ではない、という前提がわかっていないと成立しない議論です。日本ではよく付加価値ということがいわれます。これは価値=価格という前提がないと成立しない議論です。つまり価値と価格を混同しています。これは価格よりも高い価値がある、と感じられる商品と、価値が低いと思われる商品があることでもわかります。最近の表現でいえば、コスパです。この表現の拙いところは、価値をパフォーマンスつまり効果と言い換えていることです。コスパの正式な日本語訳は費用対効果です。コストパリューではないことに注目したいところです。価値というのは同じ物に対しても人により感じ方が違うものです。たとえばコレクションでは、コレクターにとっては大切なものでも、他人から見ればゴミのこともあります。古い写真などの例もあります。お金には代えがたい、つまり無価格な物です。しかし、この価値は無価格という考えも過剰になると、アイデアや思想は無価格という人もでてきます。「アイデアなど、ただの思いつき」「思想など金にならない」という人は結構多いのです。アイデアは物にしないと特許も取れませんが、物にしたから売れるというわけでもありません。世にアイデアマンや発明家という人がいますが、日本ではあまり高く評価されません。それよりはヒット商品を作って儲けた人が高い評価を受けます。つまり商品化することが世間の評価です。しかし世の中には無価格でも有用なものがあります。たとえば今では誰もが知っているQRコードです。これは自動車関連メーカーが考案し、無料で公開した技術です。その価値の高さは年々高まっています。しかし政府も世間も高評価を与えていません。商品化がすべて善ではないのです。
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