人権宣言
1789年8月26日フランスの憲法制定国民議会が「人間と市民の権利の宣言」(フランス人権宣言)を採択したことを記念して、この日が人権宣言記念の日になっています。社会科の時間に習ったように「人間と市民の権利の宣言」は、人間の自由と平等・人民主権・言論の自由・三権分立・所有権の神聖など17条からなるフランス革命の基本原則を記したものです。フランス国民にとってフランス革命は誇りですから、今年のパリオリンピック開会式のイベントでもテーマになっていました。皮肉なことに演出がフランス芸術の特徴でもあるアバンギャルド(前衛的)で政治的過ぎて、世界から不評を買ってしまいました。フランス革命の意義は日本では深く教えられることは少なく、自由と平等、言論の自由、三権分立など日本国憲法との関連で教えられることが多いのですが、このフランス革命の背景については、バスティーユ襲撃など血なまぐさいことが多いせいか、あまり触れられていません。非常に過激な社会の再秩序化(re-ordering of society)の核心を含んでいて、これは、君主政の政治的理論が王権神授説であった前革命的状況の変革であることが核心です。これは三部会(上級聖職者つまり司教・司祭・助祭、貴族、そして第三身分として知られる残余の人々による社会)で、前二者が特権を持つ社会が革命前の区分でした。特に、貴族や他の特権階級に生まれ、そのために特別な権利を享受する不平等な社会が当時のヨーロッパでは普通でしたから、「神の前の平等」とは矛盾しています。そこで全ての市民は「自由、所有、安全、圧制への抵抗」の権利を付与されているという思想から、人権宣言では「各人の自然権の行使は、社会の他の構成員にこれらの同一の権利の享受を保証するという限界だけしか持たない」としています。人権とはここでいう「自然権」のことです。日本ではこの説明がないので、人権が拡大解釈されたり、過当な要求へとつながっていく傾向があります。人権宣言では法を「一般意志の表明」と考え、権利のこの平等性を促進することと「社会に対して害のある行為だけ」を禁止することを意図していました。この人権宣言の諸原理は、個人主義やロックの抵抗権の考え方、ルソーによって理論化された社会契約、モンテスキューによって支持された権力分立といった啓蒙時代の哲学的、政治学的諸原理に由来し、その思想はアメリカのジョージ・メイソンの手になる1776年6月12日に採択されたバージニア権利章典や、1776年7月のアメリカ独立宣言にも影響を与えています。しかし肝心の人権宣言は起草された当時、宣言は絶対王政から立憲君主制への移行の一部、つまり憲法制定の前段階として意図されていました。1789年の理念を体現するもので、1791年憲法の基調となりました。しかしすぐにフランス王国はナポレオンによる共和制になり憲法も代わったので、この文書は2度も全面的な修正を受け、基本精神は残しつつも、1789年の人権宣言が法体系のなかに組み込まれていた時期は短かかったのです。フランス国民はこの歴史を知っているはずなので、実際にはどう思っているのか不明です。
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