陽暦の二百十日
今年は9月10日が二百十日(にひゃくとうか)になります。二百十日は雑節のひとつで、立春を起算日として210日目(立春の209日後の日)と定められています。雑節というのは、二十四節気や七十二候の起源が古代中華文化にあるのに対し、日本で独自に発達した季節感です。どちらも月の運行による陰暦ではなく、太陽の運行を基盤とした陽暦ですから、現代のグレゴリオ暦との差は大きくありません。そして雑節は日本の風土に合わせて作られたものなので、現代でもそれなりに通用します。二百十日は八朔や次の二百二十日とともに、農家の三大厄日とされています。昔から台風襲来の特異日とされ、この頃には台風が多いということですが、この日の頃に台風が多いという事実はなく、むしろ8月下旬と9月中旬の台風襲来の山にはさまれ、二百十日ごろの台風はむしろ少ないということだそうです。今年はどうなのでしょうか。しかし奈良県大和神社で二百十日前後3日間に行う「風鎮祭」というのがあり、テレビで有名な富山県富山市の「おわら風の盆」など、各地で風鎮めの祭が催されます。しかし、気象学者の堀口由己は、この頃が稲の出穂期に当たり、強風が吹くと減収となる恐れがあるために注意を喚起する意味で言われ始めたのであろうとしています。そのため、台風前に収穫できる早稲米が開発され、新米はとくに珍重され高価のため、全国的に早場米が当たり前になってきました。しかし、近年の温暖化で海水温度が変化したため、台風の発生期や規模も変わってしまい、農家の努力とのいたちごっこになってきています。昔なら新たな雑節を作って、祭りもずらすようにしたところですが、「科学的」な天気予報を頼りにするようになって、「風鎮め」などの風習も次第に廃れていく傾向にあります。しかし、科学は万能ではないので、自然の驚異と共生する思想も大切にしたいものです。二百重日を題材とした文学もあり、夏目漱石の「二百十日」や宮沢賢治の「風の又三郎」では、この日が意味をもっています。二百十日は「秋の季語」なので、俳句もかなりあります。「無花果(いちじく)の、実青き二百十日かな」(高浜年尾)、「枝少し、鳴らして二百十日かな」(尾崎紅葉)、「おだやかな、二百十日かな、鶏の声」(日野草城)、「こけもせで、二百十日の、鶏頭(けいとう)かな」(正岡子規)、「地震さへ、まじりて二百十日かな」(正岡子規)、「芒(すすき)の穂、二百十日も、過ぎにけり」(正岡子規)、「二百十日も尋常の夕べかな」(与謝野蕪村)、「華やかに、二百十日の、綿の花」(西山泊雲)、「二百十日、堀きれぎれに、蔦の骨」(横光利一)。まだまだ他にも名句がありますが、旧暦が生活の基盤となっていた時代には、二百十日は重要な日であったことが、格好の句の題材になっていたことがわかります。それぞれに内容は違いますが、どれも自然観察と季節感が短い表現に織り込まれています。これが「科学的」ではない、日本人が古来受け継いできた伝統文化だと思われます。暦と自然観察という文化が戻ってくることを期待したいと思う、今日この頃です。「二百十日、昔を思う、風の音」(筆者)
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