宗教の起源



宗教がいつからはじまったのか、という疑問はいろいろな人が回答をしています。まずシンプルなのが宗教者からの回答です。神様が世界と人間と創造されたのですから、その瞬間から、と言うことになります。それは神のみぞ知ることなので、そもそも問うことがナンセンスなのです。起源を問うという考えは、進化論を前提としなければなりませんし、進化論は反キリスト教的思想なので、以前は異端でしたし、今も反対する人もいます。学校で進化論を教えていないところもあります。日本のように進化論が常識になっている国は世界的には少数です。その日本でも、建国神話があり、日本武尊が朝廷を起こした年代は決まっていますが、天地開闢(てんちかいびゃく)の神、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ、あまのみなかぬしのかみ)が古事記に書かれており、いつのことかはわかりません。このように宗教世界では、神話が書かれた時代が起源ということになります。文字があったということなので、進化論からすると、相当後の話です。進化論からは、化石人類学などから、人間の起源がずっと研究されてきました。最近はミトコンドリアやDNAの研究もあり、人類の起源についてはかなり進化過程がわかってきています。しかし、言語や心は化石が残らないので、宗教については、一緒に発掘された道具とか、埋葬の有無から想像するしかありません。つまり、生死の認知、死生観が宗教の発生と想像されます。動物は他者の死は理解するようですが、とくにそのことで行動が変化することはあまりないようです。猿の仲間では死んだ子供をいつまでも連れて歩く母親も観察されているそうですが、普通はその場で別れていきます。植物は確認がなかなか難しいのですが、他者の死によって、何か反応があるのかまだ研究中のようです。つまり死の認知とそれに伴う行動は「人間独自」つまり人間と他の動物を分けるもの、という考え方が多数派のようです。言語については、発声器官や身振りに必要な器官の発達を起源とする考えが多いのですが、宗教の場合は、言語との関係は認めつつも、埋葬という行動や、道具などの副葬品から推定することが可能です。言語にせよ、宗教にせよ、抽象的概念であることは同じで、哲学的には記号化、象徴化という概念の発達が深く関わっています。道具の使用は実は類人猿にも見られるので、人間独自とはいえない側面があります。また旧人にも道具の使用が見られるので、起源を求めるとしたら、類人猿と旧人の共通祖先である猿人からかもしれません。問題は石器や木器です。類人猿は石器作りや木器作りはしないといってよさそうです。簡単な加工、たとえば折るとか、割るということはあるそうですが、磨製石器を作ったり、鏃(やじり)を作るのはかなり高度な抽象概念を必要とします。つまり目の前の石を見て、目標となる石器の形と目的が理解できている必要があります。この抽象化概念こそが言語の起源であるという人もいます。物的証拠がないので、想像の域をでませんが、それだけにロマンがあって、永遠の課題という人もいます。

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