地蔵盆



文月23日は地蔵盆です。関東地方ではあまり盛んではないのですが、関西地方では今でも盛んなようです。地蔵の縁日は毎月24日ですが、盆のある文月24日に地蔵盆が行われます。23日はその前夜、宵縁日で、本来はお盆同様、24日前後の3日間の行事です。普段の地蔵縁日は地蔵会(じぞうえ)といいます。
いわゆるお地蔵さんという地蔵菩薩の石像が昔は街角や村のはずれ、街道には必ずといっていいほどありましたが、今は寺の六地蔵くらいしか見かけなくなりました。昔話にもよく登場し、笠地蔵の話とか、「見てござる」という童謡にもでてきます。地蔵のある町内の人々は毎月の地蔵会に地蔵の像を洗い清めて新しい前垂れを着せ、周囲を花などで飾り付け、地蔵の前に集って灯籠を立てたり供え物をしたりしてお祀りしたりしたのですが、とくに地蔵盆には地蔵のある家や街角の祠に地蔵盆の提灯が飾られます。京都では子供が生まれると、その子の名前を書いた、女子は赤、男子は白の提灯を奉納する風習があるそうです。奉納された提灯はその子が地蔵盆に参加している間は毎年飾れられる習慣だそうです。お地蔵様は子供の守り仏であり、地蔵盆は子供のための祭でした。子供達は供養の菓子や手料理などを振る舞われる楽しみの日でもありました。
地蔵菩薩は中近世以降子供の守り神として信仰されるようになったようで、伝説によれば地蔵菩薩は親より先に亡くなった(逆縁)子供が賽の河原で責め苦にあい、苦しんでいるのを救ってくださるとのことです。お坊さんによる読経や法話も子供向けたものです。地域によっては地蔵盆当日の朝に直径2?3メートルの大きな数珠を囲んで座り、お坊さんの読経にあわせて順々に回す「数珠回し」を行うという風習もあるそうです。
地蔵菩薩の本来はお釈迦様が入滅されてから、次の仏陀になられることを約束された未来仏である弥勒菩薩が成仏されるまでの間、仏がいない無仏状態になるので、その間の衆生を救済することを釈迦から委ねられたとされている仏様です。この間がどのくらいかというと入滅後5億7600万年後か56億7000万年後(随分開きがありますが)ということになっています。その入滅はいつかというと紀元前949年ということになっているので、まだ3千年しか経っていません。
地蔵菩薩は立った御姿(立像)がよく見られるのですが、座像もあります。地蔵菩薩の解説である『地蔵菩薩本願経』には、善男善女のための二十八種利益と天龍鬼神のための七種利益が説かれています。全部は書ききれませんが、およそあらゆる功徳が書かれている万能の仏様ということになります。浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったのが、地蔵信仰が普及した理由のようです。地獄・餓鬼・修羅など六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなる代受苦の菩薩とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあります。昔は多かった水子や夭折した子供の供養としてもお詣りされます。

地蔵

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