盲僧琵琶の世界


コラム挿絵:琵琶法師のイラスト

荒神信仰に欠かせないのが盲僧琵琶の歴史です。琵琶を弾く盲僧というのは、いわゆる琵琶法師のことです。法師というのは、本来は僧のことです。本来、法師とは仏教、及び仏教の教義が説かれている経典に詳しく、人の師となるほどの学識・経験を備えた僧侶に対する敬称です。戒律に詳しい僧侶を律師といい、禅定修行に長けた者を禅師と呼称しています。それが、時代と共に、僧侶全般に対する呼称となり、さらに僧侶姿の人物の呼称となりました。中世以前においては、1人前でありながら自らの坊(僧房)を持たない僧侶のことを指し、坊を持つ僧を坊主というようになりました。法師はさらに、それらに似た物に対する呼称となり、一寸法師、起き上がり小法師、影法師、つくつくぼうしなどにも使われるようになりました。盲僧琵琶の起源は、開祖は、17歳で失明した筑前の僧侶、玄清法印(766-823)とされています。僧侶が琵琶を弾く理由は、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』方便品第二の偈に、琵琶その他の楽器を列挙し、これらの楽器や歌声で仏を供養すれば成仏できるという「妙音成仏」の思想を説いていることです。奈良時代に始まり。盲僧の組織は古い段階でかたちづくられました。盲僧は古くから琵琶の伴奏で経文を唱えていました。時代が下ると、京都を主たる活動の場としていた盲僧琵琶の影響で、楽琵琶を導入され、声明音楽のなかの「講式」を採用して、いわば盲僧琵琶と雅楽琵琶を総合したのが、『平家物語』による音楽、すなわち「平曲」です。江戸時代の武家では、正月に「平曲」を聞くのが習わしであったそうです。盲僧琵琶は、九州地方の薩摩国(鹿児島県)や筑前国(福岡県)を中心に伝えられました。室町時代中期に薩摩盲僧から薩摩琵琶という武士の教養のための音楽がつくられ、しだいに語りもの的な形式を整えて内容を発展させてきました。芸術音楽としては薩摩琵琶が筑前琵琶よりも古いと考えられますが、宗教音楽としては、筑前盲僧琵琶が薩摩盲僧琵琶に先行すると考えられます。晴眼者の琵琶楽となった薩摩琵琶と、近世以降の三味線音楽の影響のもと明治20年代に筑前盲僧琵琶から筑前琵琶が派生した。筑前琵琶は、筑前盲僧琵琶から宗教性を脱していったもので、明治時代中期に女性を主たる対象とする家庭音楽として確立されました。昔の琵琶は四弦で、「光る君へ」で藤式部が弾いていたのも四弦です。しかし、現代の琵琶演奏はほぼ五弦です。弦が増えることで音域も音のバラエティも広がります。宗教としての盲僧琵琶は今では福岡の成就院が伝承しており、1200年前の延暦4年(785)一乗止観院(現在の比叡山根本中堂)の開基に当り、玄清法流の開祖玄清が琵琶を弾いて地神陀羅尼経を唱え、魔障毒蛇を退散させたことにより、最澄が成就院の称号を与えたとされています。現在は天台宗伝承法流のうちのひとつ「玄清法流」本寺として、琵琶法要など独自の教義法要体系を護持するとともに、その発展に取り組んでいます。福岡では今も荒神祭が行われており、琵琶の演奏と地神陀羅尼経が読経される行事もあります。荒神は竈(かまど)つまり台所の神様なので、今も盛んな地域があります。

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