待宵(まつよい)
葉月十四日は待宵です。明日十五日が望月、十五夜なのでその前夜を待宵といいます。十五夜は毎月あるのですが、とくに葉月の十五夜が名月とされ、その前日は待ち遠しいという意味です。西洋のクリスマスイブのような感じでわくわくしていたのでしょう。今はもうこういう風情がなくなってしまったのは残念です。残念というより日本文化の危機なのかもしれません。最近は月を見ることさえ滅多にないのではないでしょうか。それだけ生活に余裕がなくなったのでしょう。
待宵草というと一般に月見草のことと考えられていますが、厳密には違うのだそうです。黄色の花が咲くので月のイメージと合うので、そういう俗説が広がったのだと思われますが、そんな無粋なことを言わずに風情を楽しみましょう。
待という言葉からの連想で人を待つ意味にも広がり、宵待草として和歌や俳諧の季題にもなっています。「待つ宵にふけ行く鐘のこゑきけばあかぬ別れの鳥は物かは〈小侍従〉」(新古今和歌集、恋三・1191)。この歌から十五夜の月を愛でるあまりに、その夜の曇るのを心配して、前夜の月を観賞しておこうとして、十四日の月は小望月と称されて、俳諧の季題となったそうなので、なんとも気の早いことです。
大正ロマンの時代の竹久夢二の詞で有名な「待てど暮らせど来ぬ君を宵待草のやるせなさ、今宵は月も出ぬそうな」というのがあります。ロマンチックですね。
俳句としては「待宵や女主(あるじ)に女客」蕪村「夜半叟句集」というのもあります。明日の十五夜に備えて女性が集まって忙しくしている様子で、待ち遠しいうきうきした気分が表現されている句です。「江戸川や月待宵の芒(すすき)船」一茶「文政版句集」もあります。芒船という船の種類は検索しても見つからないので、船の種類ではなく、ススキのある岸を行く小舟という意味のようです。
待宵という表現が示すように、昔の日本人は待つことに風情を感じていて、花も満開の時よりはその前の咲き始めや散り始めを愛でる精神をもっていました。これは生活にゆとりのあった貴族や武士だけでなく、庶民も同じで貧しい中でも月や花を楽しむ文化がありました。現代人は待つことが嫌いになり、時間を争って行動し、人より先に出ることに一生懸命になる傾向がありますが、果たしてそれが幸せにつながることか立ち止まって考えるべき時期だと思います。現代は夜には電気がつき、テレビやパソコン、ゲームにスマホと電力を消費する生活になっていて、月を見る余裕がなくなってきています。月は万人に公平で誰でもどこでも楽しめるものです。実際、海外旅行の時にふとしたことで月をみることがあると月の違いがわかります。大きさや明るさだけでなく模様も違います。待宵の月を見ながら考えてぼうっとしてみませんか。
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