神武天皇崩御


コラム挿絵:神武天皇のお姿のイラスト

神武天皇76年3月11日、神武天皇は崩御されたとされています。今は「伝説上の人物」とされていますが、誕生日も命日もきっちり決まっているのがおもしろいですね。実はさらに詳細にいろいろなことが記されています。
「諱は彦火火出見(ひこほほでみ)、あるいは狭野(さの、さぬ)。『日本書紀』記載の名称は神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと)。天照大御神の五世孫であり、高御産巣日神の五世の外孫と『古事記』『日本書紀』に記述されている。奈良盆地一帯の指導者長髄彦らを滅ぼして一帯を征服(神武東征)。遷都した畝傍橿原宮(現在の奈良県橿原市)にて即位して日本国を建国したと言われる伝説上の人物。(wikipedia)「天孫(天照大御神の孫。皇孫(高皇産霊尊の外孫)ともいう)・瓊瓊杵尊[注 3]の曽孫。彦波瀲武鸕鶿草葺不合命(ひこなぎさたけうがやふきあえず の みこと)と玉依姫(たまよりびめ)の第四子。『日本書紀』神代第十一段の第三の一書では第三子とし、第四の一書は第二子とする。兄に彦五瀬命、稲飯命、三毛入野命がいる。稲飯命は新羅王の祖ともされる。『日本書紀』によると庚午年(『本朝皇胤紹運録』によると1月1日庚辰の日)に筑紫の日向で誕生。15歳で立太子。吾平津媛を妃とし、手研耳命を得た。45歳時に兄や子を集め東征を開始。日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え中洲(大和国)を征し、畝傍山の東南橿原の地に都を開いた。そして事代主神(大物主神)の娘の媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめ)を正妃とし、翌年に即位して初代天皇となる。『日本書紀』に基づく明治時代の計算によると即位日は西暦紀元前660年2月11日。皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命との間には神八井耳命(かんやいみみ)、神渟名川耳尊(かんぬなかわみみ、後の綏靖天皇)を儲ける。神武天皇76年に崩御。」(同)実に詳細な歴史が書かれていて、実在の人物であってもおかしくない、と思われます。
興味深いのは名前で「神日本磐余彦天皇(かんやまといわれびこのすめらみこと):『日本書紀』(和風諡号)彦火火出見(ひこほほでみ):『日本書紀』(諱)狭野尊(さののみこと、さぬのみこと):第十一段の第一の一書での幼名。神日本磐余彦火火出見尊(かんやまといわれびこほほでみのみこと):『日本書紀』神代第十一段第二・第三の一書。磐余彦火々出見尊(いわれびこほほでみのみこと):『日本書紀』神代第十一段第四の一書。磐余彦尊(いわれびこのみこと):『日本書紀』神代第十一段第二。磐余彦帝(いわれびこのみかど):『日本書紀』継体紀。神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと):『古事記』。若御毛沼命(わかみけぬのみこと):『古事記』。豊御毛沼命(とよみけぬのみこと):『古事記』。始馭天下之天皇(はつくにしらすすめらみこと):『日本書紀』(美称)」と覚えきれないほどの名前があるのは、日本文化の特徴でもあります。落語家や歌舞伎俳優が名前を変えて出世していくのは、そういう日本文化が背景にありそうです。これは名前についての思想が根底にあり、言霊思想が底流になっているとも考えられます。

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