松の廊下


コラム挿絵:大石内蔵助の全身イラスト

4月11日は旧暦3月14日に当たります。この日は「松の廊下」の事件が起こった日です。忠臣蔵が歌舞伎や映画になっているため、架空の話と思っている人もいるようですが、実際に起きた事件で「赤穂事件」と呼ばれています。

忠臣蔵という名称は「仮名手本忠臣蔵」という文楽や歌舞伎の題目に由来しています。忠臣蔵の方は創作であり、実際の赤穂事件とはかなり違っています。江戸時代、江戸幕府から同時代に起こった武家社会の事件を文芸や戯曲で取り上げることは禁じられていました。幕府批判と思われるからです。赤穂事件についても幕府を憚って舞台を室町時代に入れ替え、登場人物を他の歴史上の人物に置き換えしました。近松門左衛門の作品では『太平記』の時代を舞台とし、登場人物の名として浅野内匠頭を塩冶判官(えんやはんがん、塩冶高貞)、吉良上野介を高師直(こうのものなお)になぞらえ、高師直が塩冶高貞の妻に横恋慕したことを発端としており、『仮名手本忠臣蔵』でもこれに倣っています。塩冶の「塩」は赤穂の特産品である「赤穂塩」を意味し、高師直の「高」は吉良上野介の役職「高家」とかけられています。太平記には登場しない人物の名も変えられ、たとえば大石内蔵助は大星由良助(おおぼしゆらのすけ)となっています。「忠臣蔵」という題名の由来は、蔵一杯の忠臣という意味や、大石内蔵助の「蔵」にかけているなど諸説があります。あるいは両方かもしれません。

明治以降になると、江戸幕府が滅亡しその憚りがなくなったので、登場人物の名を実名で上演することができるようになりました。忠臣蔵は人気が高く、昭和9年、新歌舞伎『元禄忠臣蔵』(真山青果作)が上演され、講談や浪曲でも忠臣蔵は人気があり、「赤穂義士伝」と呼ばれ、事件の史実を扱った「本伝」、個々の赤穂四十七士を描いた「義士銘々伝」、周辺のエピソードを扱った「外伝」があります。第二次世界大戦後の連合国占領下では、厳しい言論・思想統制が行われ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は日本国内での報復運動の高まりを恐れ、忠臣蔵を題材とした作品は封建制の道徳観が民主化の妨げになるとし、仇討ちという復讐の物語なので、赤穂事件を題材とした作品の公演、出版などを一時期禁止しました。しかし昭和22年(1947年)にはその禁も解かれ、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』が東京劇場で上演され、以後も人気作品として、NHKドラマや映画になっていて、毎回ヒットする、いわゆる「鉄板」の題目となりました。

実際の赤穂事件は、元禄14年3月14日 、赤穂藩主浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が、江戸城松之大廊下で、高家(こうけ)吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ、よしなか)に斬りかかった事に端を発する一連の事件です。斬りかかった理由の詳細は不明なのが真相です。事件当時、江戸城では幕府が朝廷の使者を接待している真っ最中だったので、場所柄もわきまえずに刃傷におよんだ浅野に対し、第五代将軍徳川綱吉は大激怒、浅野内匠頭は即日切腹、浅野家は所領の播州赤穂を没収の上改易され、吉良に咎めはなかったのです。いわば当然の処置ともいえます。

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