五か条のご誓文


コラム挿絵:明治天皇のご肖像イラスト

5月3日は憲法記念日ですが、今年は旧暦の慶応4年4月6日に相当し、この日に五か条のご誓文が発布されています。五か条のご誓文は京都御所の正殿・紫宸殿で明治天皇が天神地祇に誓約する形式で、公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針のことで、正式名称は御誓文といいます。
現代語訳では以下のようになっています。(wikipedia)

一、広く会議を開き、すべてのことをみんなで話し合って決めるべきである。
一、上司と部下は心を一つにして、精力的に仕事を進めるべきである。
一、官僚から武官、そして庶民に至るまで、それぞれが自分の願いを叶え、人々が不満を抱かないようにすることが大切である。
一、古い悪い習慣を捨て、普遍的な道理に基づいた行動をするべきである。
一、世界から知識を集め、日本の国を大きく発展させよう。我が国はかつてない大きな変革を遂げようとしている。私は国民の先頭に立ち、天地神明に誓い、この国のあり方を定め、万民が平和に暮らせる道を開こうとしている。皆さんも、この私の考えに基づき、心を一つにして努力してほしい。

戦後はすべて廃棄された、と思っている人がいるかもしれませんが、実は戦後、昭和21年(1946)1月1日の昭和天皇の、いわゆる人間宣言において御誓文の全文が引用されています。昭和天皇は後に、「それが実は、あの詔書の一番の目的であって、神格とかそういうことは二の問題でした。(中略)民主主義を採用したのは明治大帝の思召しである。しかも神に誓われた。そうして五箇条御誓文を発して、それが基となって明治憲法ができたんで、民主主義というものは決して輸入物ではないということを示す必要が大いにあったと思います。」(— 昭和52年(1977年)8月23日記者会見)と述べられており、御誓文は民主主義の導入であったことが説明されています。「日本の憲法は御承知のごとく五箇条の御誓文から出発したものと云ってもよいのでありますが、いわゆる五箇条の御誓文なるものは、日本の歴史・日本の国情をただ文字に表しただけの話でありまして、御誓文の精神、それが日本国の国体であります。日本国そのものであったのであります。この御誓文を見ましても、日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります。」(吉田茂、昭和21年(1946年)6月25日、帝国議会の衆議院本会議における大日本帝国憲法改正案である日本国憲法案の審議冒頭)というのが当時の見解でした。戦前はすべて封建的で、民主主義は戦後のもの、駐留軍によって、もたらされたもの、という見解は不正確であるといわざるをえません。現行憲法はいきなり登場したのではなく、それ以前のいろいろな憲法類が基盤にあり、政治体制が替わるたびに改正されてきたものです。現行憲法が時代に合わなくなっていれば改正も必要でしょう。

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