廬舎那仏


コラム挿絵:東大寺の大仏様のイラスト

天平勝宝4年(752) 奈良・東大寺の蘆舎那仏(奈良の大仏)の開眼供養が行われました。奈良といえば東大寺、東大寺といえば大仏というくらい有名ですが、どういう仏なのかは案外知られていません。

毘盧遮那仏(びるしゃなぶつ)は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊です。華厳経において中心的な存在として扱われていますが、後に発生した密教においては大日如来と同一視されています。実在した人物としてのゴータマ・シッダールタ(釈迦)を超えた宇宙仏(法身仏)とされていて、宇宙の真理を全ての人に照らし、悟りに導く仏とされています。実在しない架空の仏ということもできます。毘盧遮那仏については、『華厳経』に詳しく説かれています。仏像としては、聖武天皇の発願により造られた東大寺盧舎那仏像が有名ですが、現存しませんが、豊臣秀吉の発願した方広寺大仏(京の大仏)も毘盧遮那仏でした。

華厳経は、インドで伝えられてきた様々な独立した仏典が、4世紀頃に中央アジア(西域)でまとめられたものであると推定されています。 華厳経全体のサンスクリット語原典は未発見ですが、「十地品」「入法界品」などの部分は独立したサンスクリット仏典があります。中国では華厳経に依拠した地論宗・華厳宗が生まれ、特に華厳宗は雄大な重重無尽の縁起を中心とする独特の思想体系を築き、日本仏教史にも大きな展開を起こしました。上代日本へは、大陸より審祥が華厳宗を伝来し、東大寺で「探玄記」による「六十華厳」の講義を3年間に及び行なったとされています。東大寺は今日でも華厳宗大本山です。

華厳宗は中国大乗仏教の宗派のひとつであり、杜順を開祖としています。日本仏教における華厳宗は、審祥により736年に伝えられました。華厳宗は南都六宗の一つです。華厳宗の本尊は、歴史上の仏を超えた絶対的な毘盧遮那仏と一体になっています。菩薩の修行の階梯を説いた「十地品」、善財童子の遍歴を描いた「入法界品」などが知られています。東大寺の大仏も本経の教主である毘盧舎那仏であり、日本仏教の黎明期に重用されましたが、大乗仏教の中でも独特の教学を持っていたため宗勢は徐々に衰えていきました。奈良の仏教は南都六宗(なんとろくしゅう、なんとりくしゅう)といい、奈良時代、平城京を中心に栄えた日本仏教の6つの宗派の総称で、奈良仏教(ならぶっきょう)とも言います。六宗とは三論宗(さんろんしゅう、中論・十二門論・百論) - 華厳宗や真言宗に影響を与えた。成実宗(じょうじつしゅう、成実論) - 三論宗の付宗(寓宗)。法相宗(ほっそうしゅう、唯識)。倶舎宗(くしゃしゅう、説一切有部)- 法相宗の付宗(寓宗)。華厳宗(けごんしゅう、華厳経)。律宗(りっしゅう、四分律) - 真言律宗があります。奈良時代当時から「南都六宗」と呼ばれていたわけではなく、平安時代以降平安京を中心に栄えた「平安二宗」(天台宗・真言宗)に対する呼び名として定着しました。現在、自寺院は三論宗(現存せず)、成実宗(現存せず三論宗へ取り込まれた)法相宗(興福寺・薬師寺)倶舎宗    (現存せず、法相宗へ取り込まれた)華厳宗(東大寺)律宗(唐招提寺、西大寺)です。

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