阿片の禁止

明治3年4月18日(旧暦)に明治政府は阿片の売買と喫煙を禁止しました。そして明治3年に太政官布告で阿片令を発し、阿片の所持、使用、売買を禁じるだけでなく、違反した者はただちに斬首と厳罰を規定しました。それ以来、阿片と麻薬の使用禁止は日本という国の国是の一つとなりました。
阿片には鎮痛作用があるため、東アジアでは古くから医療現場で利用され、戦国時代に南蛮船によってケシの種がもたらされると、津軽地方(現・青森県)でケシの栽培が試みられたほどです。阿片は津軽の気候・土壌に合ったのか、江戸時代には「一粒金丹」という漢方薬が発明され、気分高揚、疲労回復、解熱、下痢止めなどの効果が認められていました。当初は藩関係者にのみ下賜される秘薬だったが、のちには出入りの業者や特許商人にも卸されるようになりました。阿片が薬になるか毒になるかは紙一重の違いで、隣の清国ではイギリスが絹や陶磁器を輸入する代価としてインド産の阿片を利用したことから、身分の上下に関係なく、清国全体にアヘンの吸引が広まるようになってしまいました。日頃、栄養豊富な食生活を送り、高品質な阿片を適度に吸うぶんには害は少ないのですが、ろくに食事も摂らず、低品質の阿片ばかりを吸い、阿片なしには生きられない依存症に陥ってしまうと、精神的な混乱や身体機能の低下で死期が早まります。今でも、ガン治療において、鎮痛のために麻薬が使われることがありますが、食事もあまりできない状態で薬ばかり増やすと死期を早める結果になるため、服用には慎重さが要求されています。
清国における中毒患者の増加は大きな社会問題となり、輸入量の増加に伴い、代価として銀の国外流出が加速すると、深刻な貿易摩擦が生じ、その果てに起きたのが二度に及ぶ阿片戦争で、清国が列強の半植民地となったきっかけとなりました。清のこうした状況はオランダを通じて日本にも伝えられていたため、幕府も諸藩も阿片の使用を医療行為に限るよう徹底させました。仮に日本と清国の位置が逆であったなら、重度の阿片中毒者を多数抱えさせられたのは日本であったかもしれず、アジアの東端にあること、それも島国であることが幸いしたのだといえそうです。日本が救われたのはそれだけでなく、安政五年(1858)6月にアメリカと締結した日米修好通商条約の第四条には阿片輸入の禁止が書かれていたことが幸いしたともいえます。安政五カ国条約は最初に締結した日米修好通商条約内容がベースとなったので、他の四ヵ国についても阿片輸入禁止条項が存在しました。そして、この条項により阿片の輸入を水際で防ぐことが出来たともいえます(https://shibayan1954.com/history/edo/kaikoku/townsend-harris/)。
そんな日本も、第二次世界大戦の前は、陸軍の一部が暴走して満州国を擁立するに至り、行政の維持と戦費調達を阿片に頼ることになったという黒歴史があります。現在では反社会的勢力が売買したり吸引したりしていますが、一方で阿片以外の違法薬物が密輸入されており、米中貿易戦争の一部が麻薬製造の禁止であったりと、社会問題としては未解決のままです。
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