社会と技術と思想の交差

7月10日は国際社会や科学技術の発展を語るうえで見逃せない数々の出来事が重なっています。平和と戦争、希望と警鐘。人類の営みが、大空や宇宙を舞台に繰り広げられた記憶が、確かにこの日に刻まれているのです。
まず1940年7月10日に始まった「バトル・オブ・ブリテン(イギリス本土航空戦)」です。これは第二次世界大戦において、ナチス・ドイツの空軍(ルフトバッフェ)がイギリス本土への本格的な空襲を開始した日です。ヒトラー率いるドイツは、イギリスを軍事的に屈服させるべく空からの猛攻撃を仕掛けましたが、イギリス空軍の徹底した防衛と市民の結束によって撃退されました。この戦いの中で、空襲警報に怯える子どもたち、地下鉄に避難して夜を明かすロンドン市民、ラジオで兵士の声に耳を傾ける国民たちの姿がありました。「空」が戦場になったこの経験は、後の冷戦時代や現代の防空政策のあり方にも大きな教訓を残しています。ウィンストン・チャーチルの有名な言葉、「これほど少ない者たちによって、これほど多くの者たちが救われたことはない」も、この戦いの中で語られたものです。
次に1962年7月10日に世界初の商用通信衛星「テレスター1号(Telstar 1)」がアメリカで打ち上げられました。この人工衛星は、高度約5,600kmの軌道を周回しながら、テレビ信号や電話、データを太平洋を越えて中継することを可能にしました。同年7月23日には、アメリカとヨーロッパ間で初のテレビ中継が成功し、アメリカの自由の女神やパリのエッフェル塔の映像がリアルタイムで海を越えて届くという、「世界がつながる時代」の幕開けとなりました。このテレスターの成功により、国際通信は劇的に進化しました。現在のインターネットや衛星放送、GPSといった技術の祖先ともいえるこの衛星の打ち上げは、まさに人類のコミュニケーションの未来を切り開いた一歩だったのです。地球規模での情報伝達が可能となった背景には、無数の技術者たちの努力と挑戦がありました。
また、1985年7月10日には、ニュージーランド・オークランドの港で環境保護団体グリーンピースの旗艦「レインボー・ウォリアー号」が、フランスの秘密工作員によって爆破されるという衝撃的な事件が起こりました。グリーンピースは、フランスの南太平洋における核実験に抗議するために活動しており、その妨害を狙って行われたこの破壊工作により、カメラマンのフェルナンド・ペレイラ氏が犠牲になりました。その後、グリーンピースは“正義の象徴”として活動を続けてきましたが、近年はその手法や組織運営を巡る批判が増えています。2025年3月、米ノースダコタ州でグリーンピースへ6億6千万円以上の賠償命令が言い渡されました。同団体が先住民族支援の抗議活動にかかわったとして、パイプライン企業から名誉毀損と損害賠償を求めた訴訟によるものです。科学界からは「非科学的」「ネオルッディズム」への指摘もあります。
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