「佃煮の日」と江戸文化の香り─佃島と住吉神社をめぐって


佃煮のイラスト

7月24日は「佃煮の日」とされています。現代では、佃煮は日本全国で親しまれている保存食のひとつですが、そのルーツを辿ると、江戸の町づくりと密接な関わりを持つ「佃島(つくだじま)」にたどり着きます。この記念日は、東京・佃島に鎮座する住吉神社の創建日(旧暦の正保2年6月29日、西暦1645年7月24日)にちなんで、2003年に全国調理食品工業協同組合によって制定されました。食文化と信仰、そして都市の歴史が交差するこの「佃煮の日」は、単なる食品の記念日を超えて、江戸・東京の精神を今に伝える象徴的な日といえるでしょう。

佃煮の名前の由来となった「佃島」は、現在の東京都中央区にある人工の埋立地です。その誕生は、徳川家康の時代にさかのぼります。家康が大阪・摂津の「佃村」(現在の大阪市西淀川区)に住む漁師たちの腕を見込み、江戸に呼び寄せたのが始まりでした。彼らは隅田川の河口付近に新たな漁村を築き、そこが「佃島」と呼ばれるようになりました。つまり、地名そのものが移植されたものだったのです。この佃島に暮らす漁師たちは、幕府に魚を納める「御用漁師」として重要な役割を担いました。漁師たちは余った小魚を醤油と砂糖で煮詰めて保存する方法を編み出し、これが現在の「佃煮」の始まりとされています。保存性に優れ、味付けが濃いため米との相性がよく、江戸の町民たちの食卓にすぐに浸透しました。

「佃煮の日」が7月24日と定められたのは佃島に住吉神社が創建されたことによります。佃村出身の漁民たちが大阪の住吉大社から分霊を勧請して建立したこの神社は、海上安全と漁業の守護神として島民の篤い信仰を集めました。住吉神社の祭神である住吉三神(表筒男命・中筒男命・底筒男命)は、古くから海と関わる人々にとって大切な存在であり、佃島の漁民たちにとっては、故郷と信仰を江戸の地に持ち込む拠りどころだったのです。毎年の「住吉神社例大祭」では、江戸時代から続く伝統の神輿渡御が行われ、海の神に感謝を捧げるとともに、地域の団結と文化を再確認する重要な行事となっています。

佃島発祥の佃煮は、やがて江戸土産の定番として人気を博しました。特に、武士や参勤交代の諸藩の人々が江戸土産として持ち帰ったことにより、佃煮文化は全国に波及します。現在では、各地の特産を生かした独自の佃煮も生まれ、昆布、シジミ、アサリ、小魚、山菜などから、はまぐり、うなぎ、牛肉といった高級品もあり、バリエーション豊かに展開しています。

現代の佃煮は、家庭の常備菜としてだけでなく、贈答品としても愛されており、昔ながらの味を守る老舗も全国に数多く存在します。佃煮が生まれた背景には、限られた食材を工夫して保存し、活かすという庶民の知恵と技術があります。この精神は、現代のフードロス対策や地産地消の取り組みにもつながるものです。

「佃煮の日」に寄せて
佃煮の日は、単にある食品の由来を記念する日というだけでなく、江戸から続く生活文化、信仰、都市形成の歴史を振り返るきっかけにもなります。佃島という小さな人工島が、家康の都市計画、漁民たちの技術と信仰、そして食の創意工夫によって、400年を超える歴史を紡いできたことは、私たちが現代において見直すべき「地域と文化のつながり」を示唆してくれるのではないでしょうか。

住吉神社の神前に手を合わせ、手づくりの佃煮を口に含みながら、その背後にある人々の営みと知恵を思い起こすこと──それこそが「佃煮の日」の本当の意義なのかもしれません。

2025年7月
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  

コメントを残す