手話の雑学18

人間には言語を習得する能力が備わっている、ということは一般的には言えても、全部の人間が自然に「完全な」言語習得が行われるとはかぎりません。現実には障害があって、言語獲得がうまくできないこともあります。また、病気や事故などで、言語能力が低下することもあります。その場合の言語は「不完全」なものか、という疑問が湧いてきます。そう思う人はかなり多数です。その関係をイメージするには、「月の満ち欠け」を連想してみてください。月がすべて隠れてしまう新月から始まり、15日目の満月を迎え、そして次第に欠けていき、また新月を迎えます。人間の能力のほとんどが、そういう「満ち欠け」をします、そのどれも月であり、満月だけが月ではありません。日本文化では三日月や満月の前後を愛でます。手話では月を三日月で表します。障害や損失というのは否定的に捉えられがちですが、月の満ち欠けのように時間の経過によっておこる自然現象で、誰もが経験することなのです。
言語獲得のための障害の1つが聴覚障害と視覚障害ですが、とくに幼児の場合、聴覚障害があると、音声言語の獲得に困難があります。この時、母親や父親や周囲の成人が手話を使用できれば、その子供は手話習得ができます。しかし現実には、周囲の成人がすべて手話を使用できるという言語環境はまずありえません。家族がすべて手話を使用できる家庭がいわゆる聾家族(デフ・ファミリー)です。当然、全員が聾者ということはまずありえないので、聴者であっても手話が使える人が家族にいる、ということになります。すでに聾家族という用語が広がっているのですが、本当は「手話家族」というのが正しい認識です。 これは社会言語学的な視点からすると「二言語家庭」です。この二言語家庭は国際結婚の結果、普通に存在します。手話家庭を特別視すると本質が見えてこないので、二言語家庭の変種と考えると、より本質がわかります。この時、獲得した2つの言語は共に「完全な言語」でしょうか、それとも「不完全な言語」でしょうか。そもそも「完全」というのはどういう状態のことをいうのでしょうか。それは判断する人の価値観にすぎません。たとえば二言語話者について、1言語しか使用できない人、それが多くの人ですが、そういう人は二言語話者が「日本語も英語もペラペラでうらやましい」と思うようです。しかし、二言語話者本人は「どちらも不完全」で悩んでいることが多いのです。二言語話者の多くは、完全な使い分けをできる人もいますが、多くは「日本語と英語がまじった混淆語」を話すといいます。言い換えると、それが「二言語話者の母語」になっているのです。これもまた言語変種の1つです。また、外国語学習が上達すると、どうしてもその外国語が混じってきます。これも1種の二言語話者であり、二言語話者の中にも、「生まれつき」そういう環境にあった人、幼い頃にそういう環境になった人、大きくなって習得した人、成人して習得した人、などのいろいろなタイプが存在します。この状況は障害と同じです。当然、年齢や環境により、獲得した内容が異なりますから、それらがすべて言語変種です。
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