手話の雑学37

「手話翻訳」という考え方の根底には、時空を超えた異言語間の意味伝達ということが理解されていなければなりません。いわば翻訳内容が永遠に残ることが前提です。そこで、翻訳のための技術は何か、という考察がまず必要になってきます。
翻訳技術がどのように発達してきたかという歴史はかなり古いです。ある意味、人類は昔から言語の違いに悩んでおり、それが文字の段階になっても、続いていました。翻訳の最初とされるのが有名な「ロゼッタ・ストーン」です。イギリスの大英博物館にあり、正面から入ってすぐのところにあります。日本でも東京大学総合図書館1階のラウンジ、古代オリエント博物館、岡山市立オリエント美術館、中近東文化センター附属博物館、中央大学図書館、ルーブル彫刻美術館などでレプリカが展示されているそうなので、機会があればご欄になってください。写真はいろいろなところに掲示されています。ロゼッタ・ストーンについては検索も簡単ですから、検索してみてください。特徴は碑文が古代エジプト語の神聖文字(ヒエログリフ)と民衆文字(デモティック)、ギリシア文字の、3種類の文字が刻まれていることです。この碑文から古代文字研究が進み、他の遺跡の文字の意味が解読されていったきっかけとなりました。3種類の文字で書かれている、ということは3つの言語が使用されている、ということであり、すでに翻訳が行われていたという証拠でもあります。ヒエログリフとデモティックの文章を解読したとジャン=フランソワ・シャンポリオンが宣言するのは20年後、1822年のパリだったとされています。つまり解読は19世紀になってからですが、いつのものか、については諸説あります。紀元前196~7年というのが定説です。ざっと2200年前の出来事が書かれたということになります。
翻訳史の大きな節目は、宗教文書の翻訳です。聖書の翻訳では、紀元前3世紀には、ヘブライ語聖書をギリシア語に訳した「七十人訳聖書(セプトゥアギンタ)」が生まれます。後にラテン語訳聖書「ウルガタ」(4世紀、ヒエロニムス訳)が標準テキストとなり、中世ヨーロッパの宗教生活を支配しました。中世イスラム世界は、翻訳の黄金時代を築きました。バグダードの「知恵の館」では、ギリシア哲学や医学の文献をアラビア語に翻訳し、それがさらにラテン語に逆輸入されてヨーロッパの学問の基盤を作りました。アリストテレスやガレノスをヨーロッパ人が知ったのは翻訳のおかげです。ルネサンス期には、古典文献の原語への回帰が進み、直訳ではなく「意訳」と「文芸的洗練」を意識した翻訳論も盛んに議論されました。近代国家の形成と印刷技術の発展は、翻訳を大衆化しました。啓蒙思想や科学書は各国語に翻訳され、思想の国際的流通を可能にしました。アジアでも仏典の翻訳が行われ、あの三蔵法師こと玄奘(げんじょう)によって、中国に仏教が伝わると、インドのサンスクリット経典を漢文に翻訳する大事業が始まります。鳩摩羅什(くまらじゅう)や玄奘の翻訳は東アジアの哲学・文学にも深い影響を与えました。
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