手話の雑学38

翻訳は単に知識の移動ではなく、信仰の根拠を作り直す行為でもあり、政治的・思想的な力を伴いました。日本でも江戸時代後期の「蘭学」によってオランダ語から医学・科学の知識が輸入され、明治期には大量の西洋書が翻訳されて「哲学」「経済」「社会」などの新しい日本語の概念語が生まれました。翻訳は単なる言葉の橋渡しではなく、新しい知の創造装置でもあったのです。日本では長く切支丹禁令が続いたため、宗教的な影響は限定的でした。その反面「国学」として、日本独自の科学文化の発達が起こり、それは今日まで続いています。幕末は国学と蘭学が対立し、融合していきましたが、明治の文明開化によって、国学は衰退しましたが、消滅したわけではありません。むしろ「和魂洋才論」により、技術だけを採り入れるという方法が一般的でした。その背景には、廃仏毀釈と神道奨励という国策としての宗教政策があったと考えられます。つまりキリスト教までは採り入れない、という姿勢でした。これはある意味、当然のことで、宗教まで採り入れるのでは「植民地」になってしまいます。実際、ヨーロッパの植民地主義の時代は、海外の土地を「領土」にし、その土地の住民の言語、宗教を支配しました。「国語」や「公用語」にはそういう支配的な側面があります。日本はそういう支配を受けた経験がないため、植民地支配については実感がなく、世界の歴史や現状に対する理解が薄いので、それが「島国」と揶揄される原因でもあります。手話についても、「公用語論」を安易に展開する人がいるのは、言語と国家、政治、宗教、文化との関りについての理解が不十分であることを示しています。
20世紀には国際機関(国連・EUなど)が多言語主義を掲げ、同時通訳と翻訳が政治の基盤になりました。国際会議ではそれが当たり前であり、それを抜きにしては成立しません。また、文学翻訳は国際的な作家の評価を決定づけるほど重要になっています。村上春樹が世界的作家になった背景にも翻訳の質の高さがあります。日本は外国に比べ翻訳が盛んな国です。
そして21世紀に入ると、機械翻訳やAI翻訳が急速に進化しました。かつては直訳的で不自然だった自動翻訳が、ディープラーニングの導入によって文脈を理解するレベルに達しつつあります。翻訳はますます「人間の創造的解釈」と「機械の高速処理」の協働作業になるでしょう。翻訳の歴史を通じて見えてくるのは、言葉の移し替えが単なる便利な技術ではなく、文明そのものを変形させてきた巨大な文化装置だということです。翻訳なくして宗教は広がらず、科学は共有されず、国家も成立しませんでした。未来の翻訳は、単なる「言語の変換」から「文化と意味の共生」へと進むのかもしれません。視点を変えると、「翻訳とは常に裏切りを伴う」という古い格言(イタリア語の traduttore, traditore「翻訳者=裏切り者」)もあります。裏切りと創造、その「あわい」を人間とAIがどう担うか、今まさに新しい章が始まっているのです。「あわい」というのは、境目とか中間という意味です。これからの言語技術の進化が楽しみです。
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |