立冬

本日から二十四節気の立冬に入ります。立冬と聞くと冬の到来の時期ですが、実際、このところの寒さはそれを実感します。立冬は二十四節気の十九番目にあたり、太陽が黄経二百二十五度に達したときにあたります。朝晩の冷え込みがぐっと強まり、木々の葉が散りはじめ、空気がいっそう澄んでくる頃です。目に見える雪こそまだですが、風の冷たさや陽の短さが、確かに季節の境を感じさせてくれます。立冬は、「冬が立つ」、すなわち冬の気配が立ちのぼるという意味があります。古来の人々は、自然の小さな変化にも敏感に反応し、それを生活の節目として暮らしてきました。農村では立冬を過ぎると秋の収穫を終え、田畑を休ませ、冬の準備に入ります。干し柿や沢庵、味噌、漬物づくりなど、寒さを迎えるための手仕事が増えるのもこの頃です。こうした営みには、自然とともに生きる知恵が詰まっています。
立冬のころには「時雨(しぐれ)」が見られるようになります。時雨とは、ぱらぱらと一時的に降る冷たい雨のことです。俳句では冬の季語として知られ、たとえば「山茶花に 時雨のしずく 光りけり」といった句にも詠まれています。時雨は紅葉の終わりを知らせ、冬の訪れを静かに告げる雨です。さらに、北から吹く「木枯らし」もこの時期の風物詩です。乾いた風が街路樹を揺らし、体に冬の気配を感じさせます。こうした自然の変化に一つひとつ名前をつけ、言葉で季節を感じ取ってきた日本文化は、本当に繊細だと感じます。
旧暦では、立冬は陰暦十月にあたります。『日本書紀』や『延喜式』などにも、この頃に冬の祭祀や収穫への感謝を捧げる行事が行われた記録があります。冬を迎えるということは、同時に命を守る準備をすることでもありました。古人にとって冬は厳しい季節であり、飢えや寒さをしのぐための工夫が欠かせません。そのため、立冬は「冬籠りの始まり」として、火や食を大切にする風習が育まれました。囲炉裏の火を囲み、湯気の立つ鍋を囲む――そうした光景の中に、冬ならではの温もりがあったのです。
現代でも、立冬のころには「鍋の日」や「毛布の日」といった記念日が定められています。これらは現代的な冬支度といえるでしょう。科学技術が発達した今でも、私たちはやはり気温の変化に敏感です。冷たい空気を肌で感じると、自然と温かい料理や衣服を求めてしまいます。それは理屈ではなく、身体に刻まれた季節感覚なのかもしれません。「立冬」という言葉が、そんな感覚を呼び覚ましてくれるように思います。立冬を過ぎれば、次の節気は「小雪(しょうせつ)」です。北国から雪の便りが届き、吐く息が白くなる頃、私たちは一年の終わりを少しずつ意識し始めます。立冬は、冬の入口であると同時に、時間の流れの節目でもあります。日々の忙しさの中でも一瞬立ち止まり、冷えた空気や澄んだ空の色に、季節の香りを感じ取ってみたいものです。それが日本人が古くから大切にしてきた「季節とともに生きる心」です。
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