聾教育と手話1


手話で話す女性のイラスト

ここで、しばらく手話学から離れて、聾学校と手話の関係についての基本知識を学びましょう。

聾学校と手話の関係は時代と共に変化しました。世界のすべての聾教育は手話から始められました。聾者が「身振り」をすることは昔から知られており、その身振りで、周囲の人とある程度のコミュニケーションができていました。現在、手話と呼ばれているものは、昔の日本では「手真似」と呼ばれていました。現在では「手話は言語」という考えが普及してきましたが、以前は「手話は言語でない」という人もいました。

そもそも「言語」という概念がでてきたのは最近のことで、少し前まで「ことば」と呼んでいました。「ことば(言葉)」は、日本語として古くから使われてきた言い方です。語源をたどると、「言(こと)」と「(は)」、つまり「こと(言う内容)」の「端(はし)」=「あらわれ」という意味だとされます。『万葉集』や『古今和歌集』などでは、「ことば」は人の心を伝えるもの、神や人を結ぶものとして描かれました。たとえば、和歌は「言の葉」と呼ばれ、花にたとえられました。「心(内容)」が根や幹、「言の葉」が外にひらく葉である、という感覚です。つまり「ことば」は、感情や思い、人と人との関係に関わる、生きた表現行為というニュアンスを持っていました。音声・文字以前に、「人が思いを伝える営み」そのものを指していたのです。

一方で「言語(げんご)」という語は、中国語や西洋語の翻訳語として日本に入ってきた、比較的新しい表現です。中国古典にも「言語」という語はありますが、もともとは「言葉づかい」や「発言」を指すもので、今のようなlanguage(ランゲージ)という意味ではありませんでした。日本では、明治時代に、西洋の言語学や哲学が紹介されるなかで、languageの訳語として「言語」という言葉が定着しました。たとえば、言語学(linguistics)、言語体系(language system)といった抽象的・分析的な用法です。つまり「言語」は、ことばを対象化して観察・分析するための概念です。「ことば」を生きた行為としてではなく、音声・文法・意味などの仕組みとしてとらえ直した学問的な表現といえます。

「手話は言語」という表現はごく最近になって、ろうあ運動の一環として、使われるようになった、という歴史があります。 もう少し言語学的な解説をすると、古典言語学では、ソシュールがランガージュ(le langage)をラング(les langues)とパロル(la parole)に分け、ランガージュは「言語一般の分節化能力」、ラングは「言語学がまず明らかにすべきものは特定の言語の体系」、パロルは「ラングを背景とするが、その場その場での単一の事象」と定義しています。一般にはわかりにくい、言語学の思想の1つですが、今日でも多くの言語学者はこの定義に従い、言語の抽象的な体系を研究するのが言語学と考えています。ただ近年は、むしろ言語事象に着目し、そこから法則性を見出そうという思想も現れています。哲学思想から見れば、演繹的方法と帰納的方法ということですが、言語学を哲学との関連で研究しようという人々はこのソシュールの定義を重要視しています。

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