手話の雑学72


手話で話す女性のイラスト

では、どうして日本語はオノマトペが多いのか、という疑問が出てきます。研究者たちはさまざまな説明を試みていますが、決定版はありません。作業仮説としてよく挙げられるのは次のような観点です。

・音節構造が比較的単純であるため、新語を作りやすい。
・擬音語・擬態語が古代から文芸に活発に使われてきたため、表現のストックが厚い。
・語彙の種類として社会的に許容されており、子ども語から大人語までシームレスに利用される。

どれも一応納得できるのですが、他の言語でもあてはまりそうなものもあります。実はこのオノマトペが活用されているのが、漫画です。画面に堂々と大きな文字で書かれています。外国の漫画でも、擬音語などが書かれることがありますが、日本の漫画のように豊富ではありません。もしかすると、海外の漫画ファンはこうした直感的な表現が多い日本の漫画に感情移入がしやすく、わかりやすい、共感できる、と感じているのかもしれません。オノマトペはいずれも「音のかたち」で世界を切り取るという日本語の習慣を支える背景と考えられています。

手話を学習すると、このオノマトペと似たような感覚をもつようになります。手話と音声言語のオノマトペを並べて比較してみると、まるで別の生態系に見えますが、根っこにはよく似た象徴性の仕組みがあります。人が世界をどう感じ取り、その感覚をどう他者に渡すかという問題に、両者は視覚と音声という別ルートで取り組んでいると考えられます。

そこでいくつか重要な共通点を分析してみます。

1. 象徴性(あるいは図象性iconicity)を利用している オノマトペは「ザーザー」「ぽちゃん」「キラキラ」のように、音の形と意味の距離が近い表現です。手話もまた、手の形・動き・位置などが意味と結びつきやすいという視覚的象徴性を多く持っています。両者とも、意味に“かたち”を与える過程が透明です。このように、表すかたち、すなわち形式formと表される意味meaningの間の関係が深いことを「記号の透明性」と呼んでいます。反対に両者の関係が遠い場合を「記号の恣意性」といいます。恣意(しい)というのは難しい表現ですが、要するに無関係ということです。その表現を使えば、オノマトペは透明的であり、音声言語の語のほとんどは恣意的である、ということになります。手話は透明性の高い語が豊富に存在しますから、オノマトペとも似てくるわけです。たとえば日本手話の「雨」は指先を下に向けてひらひらと落とす動きですが、音声語の「ザーザー」に宿る連続的な音象徴と役割が似ています。媒体は違っても、「現象を模写することで示す」という構造は共通です。この「模写」というのが手話の特徴で、日本では手話という語が普及する前は「手真似」と呼ばれていたことでもわかります。

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