万霊節(死者の日)
ハロウインの次の日が万聖節All Hallows’ Dayでしたが、続く11月2日はAll Souls’ Day万霊節、別名死者の日です。正式にはThe Commemoration of All the Faithful Departed(信仰を持って逝った人全ての記念日)とカトリックでは呼んでいます。そして11月は「死者の月」となっています。それほど重要な日ですが、日本ではカトリック信者以外は知らないと思います。カトリックでは人間が死んだ後、罪の清めが必要な霊魂は煉獄での清めを受けないと天国にいけないとされています。ここでいう罪sinというのは犯罪crimeとは別の道徳・倫理的な罪のことです。日本語では同じなので混同されがちです。罪は神の教えに背いた行為があった場合で、嘘をつくなど十戒にある禁忌を犯した場合ですから全員が対象になります。また人間そのものが生まれながらにして罪があるという原罪original sinという考えもあります。犯罪は人間が作った法に違反することです。一方で、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなるという考え方もあります。死者の日は煉獄の死者のために祈る日でそれを信じることが信仰ですからもっとも宗教的な意味をもっているともいえます。
キリスト教の天国と煉獄に対し、仏教にも極楽と地獄という考えがありますが、形は似ていても中身の考え方は違いますので、誤解のないようにしておきたいです。
死者のために祈るということはは世界中、古代からありました。カトリックで死者の日を取り入れたのはクリュニー修道院の院長オディロであるとされています。詳しくは説明できませんが、クリュニー修道院の改革(10-11世紀)が詩篇誦読、賛美歌、聖母マリア崇拝、十字架崇敬など現代に伝承される聖務日課の充実と典礼を荘厳なものにしました。その宗教改革の中で教皇直属の修道会としての組織を確立し、分院体制による内部の中央集権化も完成しました。所領内に城塞や裁判所をも備え、国王並みの権威と勢力をもち、「神の平和」運動や巡礼運動を支援し、アジール権(避難者保護権)によって農民の保護にも尽力しました。こうした一連の宗教改革の中で死者の日が確立された意義は大きいわけです。当時の欧州は王や司祭の堕落がはびこるようになり、修道士には聖ベネディクトゥス会則の厳格な遵守を求めたわけです。
時代はやや遅れますが日本も僧の腐敗や政権争いばかりの末法の時代に鎌倉仏教と総称される禅宗、浄土宗、念仏宗などによる宗教改革が行われました。江戸時代には安楽律宗による改革もありました。いずれも原点復帰の原理主義的改革と見ればカトリックの改革と似ているとはいえます。
万霊節は死者の魂を尊崇する盂蘭盆会と似ているかもしれません。罪の清めという点は異なっています。日本仏教では死者は仏様なのです。罪に対する考えの違いです。
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